ファインマンが日本の物理学者に感じた「物理的な違和感」の正体 という記事があって、あまりマジになるのも無粋なのは分かっていますが、気になった点を書いておこうかなと思いました。
自著の宣伝なのでしょうが、ねじ曲げる意図を感じて自分のなかでは竹内薫の評価はだいぶ下がってしまいました。 これを読んだら、宣伝している本を買う気は失せるけど、それでいいのかな。
ファインマンが日本の物理学者に感じた「物理的な違和感」の正体(竹内 薫)教授が指定した教科書は、フランス人が書いた分厚い上中下3冊本で、やたら数学が出てきて、教授と優等生だけが喜んでいた。
これは多分、メシアの量子力学のことだと思います。結構悪意のある書き方ですね。
教科書の好みに対して、このような意地の悪い書き方をするのはどうなんでしょう。 実際に物理学を使っていたり、仕事をしている人はこういう書き方はしないのではないかな。
ぼくはメシアは読んだことがないですが、標準的な教科書としては定評があるものです。懇切丁寧というレビューもあります。
当時、同級生の秀才たちは『ファインマン物理学』を馬鹿にして、件のフランス人の教科書や、ロシア(旧ソ連)の天才が書いたランダウ=リフシッツの教科書を好んで読んでいた。
これもかなり悪意を感じます。マジメに読んだ人で、ファインマン物理学を馬鹿にする人っていたのですかね。
ファインマン物理学と槍玉に挙げられたランダウ・リフシッツ理論物理学教程は性格や出来た背景は違います。
目次
そもそもファインマン物理学ってどんな教科書なのか
ファインマン物理学は、主に授業の録音をもとに編纂されています。地の文が多いのは当然ですし、数式も少ないわけです。 この中身を知っていると信じられませんが、学部1-2年生の物理学入門の授業だったとあります。
ファインマン自身が自分なりに体系化した物理学を教えるというスタイルなので、ファインマン自身の学問的な姿勢が色濃くでるのは自然な流れです。 とくに「理解する」ことを重視しているため、喩えやアナロジーを使う場面が多く、かなり哲学的な香りがすると感じます。
もともと話し言葉だったせいか、説明も簡潔というよりは丁寧で語りかけるスタイルです。教科書というよりは読み物というほうがしっくりくるでしょう。 読み物なので、読みやすいかというとそうではなく、哲学的という点でかなり「難しい」部類だと思います。 「難しい」ので、この教科書をネタに解説本を書いて需要があったりするわけです。
ランダウ・リフシッツの理論物理学教程ってどんな教科書なのか
一方で、ランダウ・リフシッツの理論物理学教程はもともと理論物理を志す学生のための教科書として構想されていたものです。 理論物理学で仕事をするうえで、最低限知っておく・身に付けておくものを、無駄なく、漏れなく編纂する意図で構成されています。 これを勉強したうえで、ランダウの試験に合格するとようやくランダウのもとで仕事ができるようになります。
なので、理論物理のプロとしての基盤を確立するためのマニュアルみたいなものです。だからプロ志向が強ければ、ありがたがるのは自然です。 ちなみに、この教程ができる前は、原著論文などから直接勉強していたようです。
場の古典論―電気力学,特殊および一般相対性理論 (ランダウ=リフシッツ理論物理学教程)
ファインマン物理学のおススメの読み方は
個人的には、ファインマン物理学は、物理学入門の授業というにはレベルが高すぎなのだと思います。読み方次第ではありますが。
ぼく自身は、大学に入ってこの本で大学の物理学を入門したわけですが、そういう目的におススメするかと言えば微妙です。
どちらかというと、一度勉強した者が物理学の体系全体を俯瞰したり、考え方を整理する目的で読むと非常に有益でしょう。
おわりに
竹内薫の秀才へのやっかみなのか、周囲にはファインマン物理学の趣旨を理解できずに馬鹿にするような低レベルな人しかいなかったのか、困った記事ではあります。
竹内薫は面白い翻訳もしているだけに、かなり残念です。
自著の宣伝のためとは言え、古典と呼ばれる教科書について、下世話なメディアに不正確なことを書かれるのは、学術的には不利益しかないでしょうね。