ホワイトスネイクでの活躍で知られるジョン・サイクスが亡くなった。思いがけない訃報に打ちひしがれている。
新しいアルバムを製作中と報じられ続けて、何年ものんびりと待っていた。まだ信じられない気持ちがある。
ジョンと言うと、この写真が思い浮かぶ。ソロの活動で脂が乗っている時期の写真と思われる。 同時代のギタリストでレスポールカスタムがこれほどキマる人は、ほかにランディ・ローズくらいか。 バンドメンバーというより、(ソロ・)アーティストとして非常に映えるギタリストであった。
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ジョン・サイクスによるホワイトスネイクのアルバム
なんといっても自分は1987年のホワイトスネイクのアルバムに最も影響を受けている。 これは間違いなくハードロック・ヘヴィーメタル史上の名盤の1枚だ。
(なお、このアルバムは日本では「サーペンス・アルバス」の名称で呼ばれることが多い。 オフィシャルにはこのアルバムにはタイトルがなくて、バンド名がアルバム・タイトル、いわゆるself-titledなアルバムである。)
シュレッダーとして
ジョン・サイクスに対しては、同時代のシュレッダー(速弾きギタリスト)のなかでは、別格な印象を自分は持っている。 それは、ギタリストというだけでなく、作曲・ボーカルの能力がずば抜けているためだと思う。
テクニック的にランキングするのはあまり意味がないと思うが、間違いなく超絶テクニックの持ち主である。 しかも、それが練習の賜物という感じがしない。
1959年生まれのジョン・サイクスは、世代的にはゲイリー・ムーア(1952年生まれ)、ジョージ・リンチ(1954年生まれ)、エディ・ヴァン・ヘイレン(1955年生まれ)、マイケル・シェンカー(1955年生まれ)、ランディ・ローズ(1956年生まれ)、ジョー・サトリアーニ(1956年生まれ)、スティーブ・ルカサー(1957年生まれ)より若く、イングヴェイ・マルムスティーン(1963年生まれ)、ウォーレン・デ・マルティーニ(1963年生まれ)、ポール・ギルバート(1966年生まれ)よりは年上。年齢が近いのはスティーヴ・ヴァイ(1960年生まれ)くらいか。
インタビューなどでは、ジミー・ペイジやリッチー・ブラックモア、ゲイリー・ムーア、ランディ・ローズに影響を受けたと話している。 そうした王道のプレイがベースになっている感じはする。 オーソドックスで正統派でありつつも、スリリングなタイム感、大きいビブラート、ぶっとい音、ピッキングハーモニクスによって古さを感じさせない。 自分は特にジョン・サイクスのタイム感が独特だと思う。
作曲
ジョン・サイクスと他のギタリストの大きな差となっているのが作曲だと思う。
1987年のWhitesnakeのアルバムはビルボードで2位まで達したメガ・ヒットであり、その大部分の楽曲(11曲中9曲)ジョン・サイクスが関わっている。 このアルバムは「捨て曲」無しのお化けアルバムで、ヘヴィーなのにキャッチーな曲が目白押し。そりゃ売れるわ。
このアルバムを出す前のホワイトスネイクは、「ディープ・パープルの元ボーカル ディヴィッド・カヴァデイルのバンド」程度の位置付けだった。 ブルースをベースにした、どちらかと言えば、あまりパっとしないバンドだった。 (前任ギタリストのバーニー・マースデンは自分も好きだし、ディスる意図はない。ジョン・サイクス加入前後の比較である。)
それが、ジョン・サイクスによる超カッコいい曲・リフでイケてるメタル・バンドのトップに躍り出た。 いまいちイケていなかったバンドを垢抜けたメタルバンドに華麗に変身させ、一躍トップグループまで押し上げたのはジョン・サイクスの功績と言っても過言ではないだろう。 当時のハードロック系アルバムの中でもクオリティーは超高いと思う。
音楽シーンの趨勢など環境・状況の違いはあるだろうが、その後のWhitesnakeはこのアルバムを越える作品を作れていない。
ボーカリストとして
Whitesnakeを追い出されてしまった後は、自身のバンドを率いて活動している。そこではボーカルも担当している。 ボーカリストを探したがピンとくる人がいなくて、本人としては仕方なく始めたようだ。 (参考までに、追い出された裏話の一つはジョン・サイクスとデビッド・カバーデイルの間で起きたことで紹介している。マネジメント側の思惑で1987のレコーディング・メンバーを全員解雇した模様。)
Whitesnake時代の楽曲も、ギターで「あのプレイ」をしながらボーカルまでこなしてしまう。最初は自分も信じられなかった。 デビ・カバくらいの存在感がないと、あのギターの陰で霞んでしまう。だが最新の”Out Alive”を聞いても分かるようにジョンのボーカルはデビ・カバと比べても遜色ない。 ソロ活動はジョンのボーカルで正解だったと思われる。
天才肌ゆえの不幸
2020年に出たムックにジョン・サイクスを直接知る深民淳氏なる人物のインタビューがある。直接知るだけに、インタビューの内容は大変に興味深い。 深民淳氏は、ジョン・サイクスのソロ活動のなかでも”Out of My Tree”から “Nuclear Cowboy”までの4作品の制作・リリースを仕切ったディレクターとのこと。
このインタビューのなかでも、ジョン・サイクスが突出していて浮き気味との話がある。
「練習しなくても弾ける」「恐ろしく耳が良い」「制作に時間がかかる」「出来あがっているのに色々弄くりまわしてしまう」「ミュージシャン仲間で付き合うには面倒臭い存在かも知れない」など興味深い。
ソロ・アルバムを制作中と何年も報じられ続け、なかなかリリースされないのは、そういう人柄だったということは分かる。
Whitesnakeのアルバムが大成功だったのは、もしかしたら、追い出されてあれこれ弄ることなかったせいもあるのかと思ってしまった。
再び深民淳氏のインタビューから引用する:
「この人ってピンじゃなくちゃ駄目なんだよ。協調性がないとは言わないけど、この人って俺が知っているギタリストの中では一番の天才」 「みんなみたいに才能はあるけど練習しなくちゃならないって感じじゃなくて、できちゃうんだよ。で、それが不遜とは言わないけど、どうも合わないんだよ」
バンドでは収まらず、ピンで活動しないと実力が発揮しきれない。 ピンだと、超マイペースで作品がなかなか仕上がらない。 天才肌のせいで作品があまり出てこないという不幸な部分もあったと思う。
遺作
(遺作と言って良いのか分からないが、) リリースされた最新のものは2021年の Out Alive である(AmazonやiTunes Storeでも買える):
これを聞いた時は大興奮した。新作への期待が否が応にも高まる内容だからだ。それが4年ほど前だったのだが…。
Please Don’t Leave Me
この曲のタイトルが今の自分の気持ちそのものだ。