musicradar のマイケル・シェンカーのインタビューを訳してみました。
意外と、と言うと失礼なのですが、ロジカルで説得力があります。こんな風に考えていて、表現できるというのも興味深い。 かなり耳が痛い話しが多いかもです。やはり神はかなり厳しい。
オリジナリティという単語は使っていませんが、創造性やアートの考え方はしっかり持っていて、ロックやヘヴィーメタルのジャンルに限らない話題と言えましょう。スケール云々の話は、よくぞ言ってくれましたという感じです。彼をコピーしていると、スケールで捉えきれないラインは多々ありますからね。
80年代のLAメタルの流行や、イングヴェイ、エディ・ヴァン・ヘイレンが出た時の感じ方も面白いですね。 速弾きに対する考え方も、見方が一歩引いていて元祖ならではのコメントです。
ではお楽しみ下さい! ちょっと訳が難しいところはありますが、ご容赦下さいませ。
Michael Schenker’s 10 tips for guitarists: ‘The key is making each note carry a meaning’目次
自由に走る
ギター・プレーヤーの中には、オレに追いつけないって感じるかも知れない。でもさ、自分自身には捕まえることができるよ! それが、オレがプレイしている最中にしていることだ。自分自身を捉えるんだ。 だから、自分の外に既にあるもの、例えばオレのソロとか、をリサイクルするんじゃなくて、自分自身を捉えることにトライして欲しい。 だって、それを考える時は自分自身から逃れることは出来ないからね!
オレたちはいつも外側のものに忙しくて、内側にあるものを忘れがちだ。 でも、それは確かにどこかにある。 リード・ギターのアートっていうのは本当に純粋に自己表現ってことなんだ。少なくともオレにとってはそうだ。 それは今まで行ったことがない場所まで、自分の領域を広げるってことだ。
心地よさ
オレの最初のヒーローは60年代後期のギタリスト逹だったよ。彼らはみんなブルース系で、感情豊かだ。 ジミー・ペイジ、ジェフ・ベック、ジョニー・ウインター、ロリー・ギャラガー、エリック・クラプトン、…とかだね。 もしも彼らに影響を受けた人を尋ねれば、オリジナルの黒人ブルースプレーヤー逹の名前を挙げるだろうよ。
パール・コゾフのビブラートを見てみろよ。オレの好みではないけど、完全に彼のスタイルだ。 カーク・ハメットのビブラートはオレの Lonesome Crow [1972年のスコーピオンズのデビュー作]でのプレイに似ている。 でも、彼が意図してやっているのかは分からないな。 一回彼とジャムる機会があって、彼のプレイを聞いた時、あのアルバムのオレのビブラートにすごく似ていた。 彼がそのビブラートに惹かれて、彼の頭に焼き付けているってことはあり得る。 偶然かもしれないし、あのアルバムのオレのプレイが彼に何かしら印象を残したのかも知れない。 分からないけどね! オレがあのアルバムを聞き返す時は、オレ自身の成長の始まりのように聞こえるんだ。
自分を何者だと思うか
17歳になった頃に、他の音楽や他のギター・プレーヤーを聴くのを止めた。 なぜかと言うと、自分の中に何かある、それがたった一つのものだし、この世界では知られていない、ということを理解していたからだ。 それはどんな一人ひとりとも同じようにあるものさ。
それに注目して「これこそがアートで、表現なんだ」って言うべきなんだ。それの優劣は決めなくて良い。悪くないし、良くもない。それは単に表現なんだ。
オレが自分自身を表現するなら、何か新しいことを実現する。新しい色みたいなものを。 そういうことを繰り返していくと、自分の本当の色を見せ続けることになる。 好んでオレのやっていることを真似するのも良いけど、自分が見えている風にやる方がずっと良いし面白い。 問題なのは、多くのプレーヤーが確信を持てないってことだ。つまり彼らの内側にあるものが良くないって思っている。 でもそれは間違っている。すべての個人はそれぞれの内側のどこかに必ずユニークなものを持っている。
ミュージシャンがそれ(自分の内面)に従わない理由は、彼らの頭の中にあるものに価値があるって確信が持てないっていうだけだ。 だから、「これこそがアートだ、これが表現だ」っていうべきなんだ。 その優劣は決めなくて良い。悪くないし、良くもない。単に表現なんだよ。 そういう風に考えて出来る限りピュアにプレーしていけば、ある時人々が振り返ってこう言うようになるよ、「ワオ、これは素晴らしくユニークなサウンドだ」ってね。
水の上を歩く
流れるようなサウンドっていうのは、間違いなくオレのアプローチの鍵を握っている。 オレはジェフベックのプレーが大好きだ。彼はギャップを残しておく。それは信じられない。彼はいつ弾くべきで、いつ弾かないべきかを正確に知っている。 そういうギャップが大好きなんだけど、そういうのがオレの才能とは思えない。 オレの場合は流れるパッセージを組み立てて、スペースが少なくて、でもそれぞれの音の意味があるようにしている。 オレには音を詰め込む時間は無い。そういうのはオレの個性にあってないから、捨てている。
鍵となるのは、それぞれのノートに意味を持たせることだ。 オレも間違った音をパッシング・ノートに使うことがあるかも知れない。でも次の正しいノートを導くためで、それは上手くいく。 もしも上手く導けないなら、もちろんサウンドは悪い。 すばやく対処できるなら、間違ったって大丈夫だし、いつも修正できる。
もちろん、オレだって何かを作りながら偶然に出てくるものもある。 Rock Bottomはオレがインプロバイズする曲だ。 ある日は上手くいくし、別の日は上手くいかない。 プレイしたものを聞き直すまで何をプレイしたか認識していないこともたくさんあるよ。 その時はゴミだと思っていたものが、実は良かったって発見することもあるんだ!
正義の秤
本当のところ、オレの頭にはスケールというのは入っていない。 エオリアン・スケールとかなんとかみたいな用語は知らないんだ。 人々がオレに「クラシック音楽やシンフォニーとかを勉強したの? あれは? これは?」っていつも聞いてくる。でも違うんだよ。 クラシックなスタイルはオレのプレーの一つの側面だ。スパニッシュ・ギターだって傾向はあるのと同じ。例えばEメジャーからFメジャーに進行して戻るとかね。 よりフラメンコ・スタイル的な音の選び方が違う組み合わせの時に上手くいく場合もある。
オレは有名になりたいと思ったことは無いし、単にプレーを楽しみたかったし、違う何かの組み合わせをいつも探してきた。
だからと言って、オレは全てのスケールを暗記しているってことではない。 それらはオレの中にあって、その中からその瞬間にベストに響くものを拾っているに過ぎない。 スケールを練習する人は、自分自身の中を聴く必要はないし、それなしで弾ける。 オレがプレーする時は自分自身を聴かないとならない。なぜなら次にどんな音が必要か分からないからね。 オレは次のノートを探すために、その前のノートを聴く必要があるんだ。
マンネリ化について
一つの特定のポジションに煮詰まって、ネックの別の場所で弾けるようになるまで時間がかかるって時があった。 こうやって、違うプレイを自分に強要できる。 違う弦や違うパターンは違う効果のアイディアになるよ。 これは昆虫がどうやって飛ぶかをコピーして、同じコンセプトでヘリコプターを作るのに似ている。
すべては自分の中のどこかにある。それを見つけるべきなんだ。 煮詰まった時は、それにフォーカスする大事な問いがある。お前は誰だ? どうやってフォーカスするんだ? お前の大事なことは何だ? 何を期待して、何を成し遂げたいんだ? こういったこと全てが、どうやって自分を表現するかを違うものにする。 オレは有名になりたいと思ったことは無いし、単にプレーを楽しみたかったし、違う何かの組み合わせをいつも探してきた。
プレイしているときの状態
その場でプレイして、自分自身を発見することを強いるべきだ。 オレは一つのテクニックやスケールに固執しない。オレは新しい事を発見するたに動いて成長したいからだ。 もしも一つのスケール練習を行ったり来たりするなら、運指に備え続ける以外にポイントはないよね。 それ以上は本当の成長はないんだよ。 それをオレが「プレイ」って呼ぶものだ。プレイはレクリエーション場みたいなもので、点数を付けずに純粋に楽しむものだ。
そうやって、プレイする内容を楽しむことで新しい場所にたどり着く。 ヤギを捕まえにいくようなものだ。 歩き回るの楽しみ、ヤギが近くにいないか探す。何かを見つかるって分かっているなら、実際は狩りをもっと楽しめる。 「プレイ」っていうのはそういうものなんだよ! そうやって進歩していく。 オレが新しいアルバムを作る度に、何か新しい発見があるし、そうやって前に進み続けている。
時々、以前は考えもしなかったのに、間違ってベンドし過ぎたものが完璧にハマるってこともある。 オレの場合、単にエクササイズをこなすのは時間の無駄なんだよ。 プレイにまっすぐに入り込んで、行ったことがない方向に動くのが好きなんだ。
完全な不完全
オレは100パーセント正しくない、どうなるか分からないのが好きだ。 驚くものを聴くのが好きだ。それを実現するために、キーのインやアウトも試すし、タイミングもずらすのを試す。 そうやってミステリアスなサウンドをクリエイトするんだ。
新しいアルバムが出てツアーの準備が出来た時は、リードのプレーのベーシックを全て覚える。それが定着するようにね。 人々は録音された通りに聴くことを期待している。 天国への階段のソロをレコードと違う風は始めてみろよ。 人々はこう思うだろう。「本当に聞きたかったものはどうなったの?」 これは正しい流れだ。何をキープしておくか、何が必要か。始めやキャッチーな部分、つまりオーディエンスがしっかり掴んでいる部分はキープしてきたいはずだ。
オレ自身のソロを覚えるのはとても大変だ。だって瞬間のことだからね。 リズムは外れたり、合ったりがミリのミリのミリ秒で起こる。 完全に自由でなされた瞬間にどう感じていたかをどうやって知る? 多くの場合、そういった瞬間に作られたものを再創作する時は、参照するポイントは本当にない。 最後にプレーした時とは全てが違うフィーリングになる。
触れすぎると
複雑すぎるプレイはまさにオレが距離を置いているものだ。 一つのテクニックだけを頭に入れたくないだろ。というのも、いったんをれを刻み込むと、それから抜け出すの大変だから。
イングヴェイ・マルムスティーンはセンセーショナルだと思った。 オレは他の音楽をよく聞いていなかったけど、流行ってしまうと無視できないものはある。 誰かがオレに、彼は本当にUFOのReasons Loveみたいだと言った。それはオレは本当に速いソロを弾いている。 彼はクラシカルなスタイルでその一歩先を行っていたよ。
速弾きというのは、一つのスタイル、例えばクラシカルなものに執着すると特に、繰り返しが多くなり、とても速くなる。 速くなっていくと、ノートを感じることや注意することが出来ない。だってずっと走っているのだから。
オレはBBキングが「マルムスティーンさん、これが君が探しているノートかい?」って尋ねる姿を想像できる。 なぜなら、ずっと探し続けているみたいだからさ。 そうは言うものの、イングヴェイは素晴らしいし、エディ・ヴァン・ヘイレンもそうだ。 イングヴェイと同様に、彼はどこでもいる。彼から逃れられない。
(エディの)ファースト・アルバムには魅了されたよ。すべてリズムが完璧で、メロディーとセンスがすごくて、彼がどうやっているのか分からなかった。 残念ながら、そういうのがLAでは突然群れをなしてきた。LAの奴らはショートカットして彼のタッピング・テクニックを学んだからね。 でもね、彼のスタイルを速成して憶えた人たちは何千人もいたけど、彼らはセンスを身に着けなかったし、一晩で覚える以上のことを学ぶ手間をかけなかった。 可哀想に、エディは露出し過ぎて、壊されてしまったのさ!
だから、そういうのは消えざるを得なかった。みんな、誰が誰だか分からなかった。 どこでも何度も聞かされると、そういうのもう聞きたくなくなるよね。 それが90年代に起きたことだし、今はそれは変わって来てるよ!
心のペース
オレはメトロノームを使う練習をたくさんしてきた。プレイが遅くなっていないか確かめるために参照するポイントだ。 心っていうのはおかしなものだ。参照にするポイントが無ければ、自分ではあるスピードでプレイしていると思い込む。でも実際は違う。 心は自分を騙すものだ! 速いプレイをする時は、準備が出来ているか知らないといけない。 メトロノームは、自分があるべきところにどれだけ近づいているか知る助けになる。
歳をとるにつれて、気付かずに自然と遅くなるよ! だから遅くなりたくないなら、それを確かめるために参照するポイントが必要だ。 これは記録を出したオリンピックの水泳選手みたいなものでね。 これ以上速くなることはないけど、少なくともそこに留まりたい。そしてそのためには時間を測るしかないだろ。 ギタリストのための健康法みたいなものさ!