河瀨 直美の例の祝辞のロジックが気持ち悪い

乗り遅れた感はありますが、この人の話はロジックとして破綻していますね。

令和4年度東京大学学部入学式 祝辞

例えば「ロシア」という国を悪者にすることは簡単である。けれどもその国の正義がウクライナの正義とぶつかり合っているのだとしたら、それを止めるにはどうすればいいのか。なぜこのようなことが起こってしまっているのか。一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろうか?誤解を恐れずに言うと「悪」を存在させることで、私は安心していないだろうか?人間は弱い生き物です。だからこそ、つながりあって、とある国家に属してその中で生かされているともいえます。そうして自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要があるのです。そうすることで、自らの中に自制心を持って、それを拒否することを選択したいと想います。

「一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろうか?」と言っているので、ロシア側にも擁護される余地があると解釈できます。

その一方で、「そうして自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要があるのです。そうすることで、自らの中に自制心を持って、それを拒否することを選択したいと想います。」とも言っています。「それを拒否することを選択したいと想います」の「それ」は「侵攻する」ことを指しているでしょうから、「自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性がある」のは「悪である」と思っていると解釈できます。

つまり、下では日本が侵略する(した)のは悪いと言っているのですが、上では侵攻しているロシア側だけが悪くないと言っているのです!

上の論法だと、日本が侵攻したことに対して「一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろうか?」と問うことも可能になってしまいます。 ロシアに他の言葉を入れかえてみると、この発言の変なところがより分かってくるかも知れません。

このような祝辞を掲載している国立大学って大丈夫なのですかね?

この祝辞が4月12日なので、ブチャでの虐殺が報じられた後です。 戦争犯罪だと言われているものを「「悪」を存在させることで、私は安心していないだろうか?」などで片付けるのは、かなり危なっかしい。 百歩譲って報道を知らなかったとするならば、それはそれで国際情勢を知らなさすぎるくせに「「戦争」を世界から無くしたい」とか言うのですかね。

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