この夏は梅原猛をたくさん読んだ。 久し振りに読んで楽しい時間だった。
今のところ「隠された十字架」「水底の歌」を読了。 「水底の歌」は柿本人麻呂論。
柿本人麻呂が何者だったのかに迫る内容で、最初に読んだ時は「万葉集の歌人の一人」なんて認識が吹き飛んでしまった。
そもそも「万葉集とは何か」があまり知られていない。
万葉集は編纂が複数に分かれていると考えられていて、ほぼ巻一・巻二までの古い万葉集が歴史順に並んでいる。 梅原猛によれば歌集という体裁をとりながら反藤原の人々の歴史を暗に物語るものという。 その物語の中心にいるのが柿本人麿というのが梅原猛の見立てである。
巻一の主題は雑歌、巻二の主題は相聞と挽歌。挽歌は悲劇的な死をとげた皇子が多く取り上げられている。 その挽歌の作者が人麿なのである。都から姿を消した人麿が無名の人の死を詠み、最後に人麿の死が示される。
皇子の挽歌をたびたび歌うなど、朝廷でも中枢に居たと推測されるのに正史では現れてこないのが謎だが、その理由をどうにかこうにか推測している。 朝臣とされるのに古事記や日本書紀などの正史に柿本人麻呂の名前が出ないのは、藤原氏の支配に何らか抗った勢力だったため。 そして流罪となり各地を転々として、最後は死を賜り入水したというのが梅原猛の説である。 これを大国主命の国譲りの際にあったであろう入水と並べている。
この本の前半は、柿本人麻呂の終焉の地に関する斎藤茂吉によるのこじつけ説をメッタ斬りにしている。
斎藤茂吉の原文も引用されていて、まあメッタ斬りに値する内容だと思った。 (この柿本人麻呂に関する一連の斎藤茂吉の思い込みの激しさ、非論理的な思考と行動力から性格的に面倒臭いことは見てとれる。 Wikipediaにもその手の記述があって納得してしまった。)
下巻は賀茂真淵の説(主に生年と官位)がメッタ斬りにされている。
梅原猛の論がすべて正しいと思うわけではないが、問題設定やそれに答えていくやり方は論理的と思う。
自分は専門家ではないので、文献の取捨選択の仕方に問題があるかどうかは分からない。 また伝承を重視する姿勢は賛否が分かれるかも知れない。 それでも論理が崩れるようなことはないので、読んでいて純粋に楽しい。 「何となく」「と思われる」のような表現は散見するが、学術論文ではないので許容されるだろう。 それを言うなら斎藤茂吉も賀茂真淵も査読がある論文を書いたわけではないのだから、同じ土俵の上と言える。 (もしも査読があったなら、この「水底の歌」も「隠された十字架」も大胆な説だけに、なかなか世に出なかったと推測される。)