ケーブルTVでディズニー版アニメ「ティンカー・ベル」を見ました。「ものづくりの妖精」というキーワードを中心に、その時の感想的なものを書いてみます。(あらすじ等は不正確な部分があるかも知れません。)
あらすじ
ネバーランドで新しく誕生した妖精ティンカー・ベルは、ものづくりの妖精として人間の世界(メインランド)へ春を届ける準備のためのものづくりの仕事を始めます。ところが、他の妖精たちの話を見聞きするうちに、メインランドへの憧れを強くしていきます。しかし、ものづくりの妖精はメインランドへは行けないことを知らされショックを受けます。同時に、ものづくりの仕事が地味で退屈なものに思えてきました。そこで、メインランドへ行ける妖精になるために、ティンカー・ベルは自分の仕事を放り出して他の妖精(みんな女性)たちに彼女逹の技術を教えてくれるように頼みます。
メッセージ1: 「自分の才能は、自分で気づかないこともある」
メインランドに憧れるティンカー・ベルは、メインランドへ行く妖精たちの技術、例えば水の妖精の技術や小鳥に巣立ちを教える技術を身につけようとしますが、まったくうまく行きません。
一方でティンカー・ベルは、メインランドから流れてきた壊れてバラバラになったオルゴールを何の苦労もなく直してしまいます。そんな技術も、バラバラの部品を見ただけでどう組み合わせるか分かってしまう彼女にとっては当たり前のようです。ものづくりの妖精がみんな出来るわけではないなのですが、自分ではその才能に気づいていません。それどころか、自分の卓越したものづくりの才能を否定して、『別の才能があるはず』と考えたりします。
自分が得意な事と、やりたいと思う事が必ずしも一致しない場面は多々有ります。また、やりたいと思っている事が魅力的に思えたとしても、実際にやっている人にとっては、さほどの事ではなかったりします。人は、自分が出来ないことに憧れてしまうことがよくあります。そして自分の能力を客観的に評価することができないこともありがちです。「自分には他の才能もあるはず」なんて考えるよりも、軽々と無理なくできることが天職ということもある、というメッセージかなと思いました。
メッセージ2: 「『ものづくり』だって素晴らしいことができる」
ティンカー・ベルは、自分がやらかしたヘマのせいで春を届ける準備を台無しにしてしまいます。生じた遅れを挽回するために、ティンカー・ベルは素晴らしい働きを見せます。吹っ切れたように自分の才能をみんなのために活かすことに集中するところが描かれています。
他の妖精たちも、ものづくりの妖精たちの仕事がなければメインランドへ行って春を届けることは出来ません。才能のある人(ティンカー・ベル)の創造的なものづくりのアイディアと他の妖精たちの協力によって、華やかかな春を届ける仕事も大成功となります。
アメリカのブルーカラーの社会的な地位などの雰囲気はわかりませんが、製造業で働く親(私もその端くれと思っていますが)がこの映画を見ると、今ひとつ調子のよくないものづくりを応援してくれているようで、ちょっといい気持ちになるのではないでしょうか。ただし、単純に「ものづくり」を礼賛するというよりは、地味で退屈に思える「ものづくり」だってクリエイティブなやりがいのある仕事にすることができる、というメッセージのように思えました。
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