ブロガー叩き・ネットバッシングの心理について調べてみた

「3年A組-今から皆さんは、人質です-」というドラマが話題になりました。

これはネット上のフェイク動画や偽情報に振り回されたクラスメートのいじめや周囲の悪意が原因で一人の女子生徒が自殺したことなどを題材にしたドラマでした。

このドラマのメッセージの一つは偽情報に簡単に振り回されることや、それに乗じて相手を叩くことの危険性にあるわけです。

ところで、このドラマ主人公のメッセージに感動したという人がいる一方で、同じことを伝えたのに伝わらないことに戸惑っている人もいます。

現実へのおみやげ : 春名風花 公式ブログ

いじめをしていた本人が3年A組に感動したなんてホラーでしかないですが。

このドラマで描かれた「ネットでの叩き」に関してJazz Guitar Blogの一件を思い出していました。

というわけで、ブロガー叩きの心理とネットのいじめの心理の共通点・相異点などを調べてみました。

今回調べた中では、ブロガーを叩いたりネットでバッシングするのは、叩く側のストレスによるネット過剰利用と「ネット上では何をやっても良い」「(相手が)叩かれて当然」「自分の身元は割れない」という(間違った)認識によるものというのが腑に落ちました。

ブロガー叩きの心理

まずはブロガー叩きの心理について調べてみました。アカデミックに調べたものではなく、ブロガーが肌感覚でまとめたものを参考にしました。

ブロガー叩きやSNSいじめに見る、「ネットで人を叩く人」の心理を考え「叩き」をやめるように説いてみた (ネットメディア研究所)によれば以下の四つくらいに分類できるようです:
  • ネット上で日常の鬱憤を晴らしている人
  • 「自分のほうが上!」ってことのアピールのために叩いている人
  • 自分の価値基準以外を許せない人
  • 集団心理で人を攻撃する人

上記のページでは説教しているような体裁ですが、ほぼ無駄でしょうね。

多分、追加が必要なのは

  • やっかみ・嫉妬

です。幸福感が高い人はブロガーを叩いたりしませんからね。

ネット・バッシングの理由

ネット・バッシングをする理由として見つけたのが次の記事です(他人を非難してばかりいる人たち バッシング・いじめ・ネット私刑 (幻冬舎新書) のレビュー記事です。):

日本人が「ネットバッシング」を止められない理由に「日本人が元来持つ特性」があった によれば「世界が小さくなっていること」と「社会の変化」、そして「日本人が元来持つ特性」を挙げています。

「世界が小さくなっている」

「世界が小さくなっている」というのは
インターネットとSNSが大きな役割を果たし…容易に他人の弱みにアクセスし、付け込むことができるようになった。また、匿名性が声を過激にしている。

を挙げています。

ぼくには「世界が小さい」という表現は分かりにくい。情報の発信や収集の敷居が下がったということだと思います。

「社会の変化」

社会の変化というのはコンプライアンス重視が大きいとしています:

社会で「透明化」が推奨され、会社などで「コンプライアンス」が強調される…。 「違反」が発覚したとき、他者は「自分は守っているのに」という抑圧された気持ちの反動で、バッシングの火を過剰なまでに燃え上がらせる

日本人が元来持つ特性

同質性が高い国民性のことを言っています:

同質集団である日本には…、すこしの異質でも排除しようとする働きが起きるのだ。

以上ざっと見てきましたが、過剰なバッシングの原因というには何となく外れている感じがしています。

ブロガー叩きとネット・バッシングの共通点・相異点

相異点

ネット・バッシングはコンプライアンス的な勧善懲悪な意味合いが強そうです。

一方でブロガー叩きは個人的な好き嫌いな感情をベースにしていそうです。

共通点

上記の2つの例からは、過激な言い方のブロガー叩きや辛辣なネット・バッシングの共通点は正直分かりにくい。

敢えていうなら、「表現が過剰」「人格を否定」といった話し言葉では言わないような過激な投稿がフツーになされるという点かな。

ネットいじめの行動に至るプロセス

面白い研究を見つけました。社会心理学会の講演予稿集のようです。 ネットいじめ加害行動に至る心理的プロセス

調査対称は高校生から大学生・短大生・専門学校生・予備校生を含んでいます。

許容的認知を媒介するプロセスを経て,ネットいじめ行動が促進される

つまり「仕返しされない」「何をしてもバレない」といった「許容的」な認知がネットいじめ行動を増大させることが示されたのです。

“抑制規範の欠如”“誹謗中傷に対する当然視”“発言者に関する特定不可能性”の3因子が示された。これに基づき共分散構造分析を行った結果(Fig. 1),学校内でのストレスがネットの過剰利用を促し,それを通してネット上の誹謗中傷への許容的認知が生じるとともに,最終的にネットいじめが促進されるという過程が確認された。

“抑制規範の欠如”“誹謗中傷に対する当然視”“発言者に関する特定不可能性”を言い換えると「何をやっても大丈夫」「ネットで叩かれて当然」「叩いた側の身元はバレない」ということです。

学校でのストレスがネット(SNS)の利用を増やすというのも興味深い。リンク先のFig 1では「学業成績」「友人関係」「クラス内ポジション」「将来の進路」「被いじめ不安」などがストレス因子として挙げられています。

社会人に当てはめるなら

社会人に対しては「仕事の業績評価」「対人関係」「職場内ポジション」「将来」などと読み替えることが出来ます。 つまりは仕事の評価が上がらない、人間関係が上手くいっていない、職場内で今ひとつパッとしないポジションにいる、将来を描けないなどの人がネットに浸ってネットで他人を叩くという構図が透けて見えてきます。

ネットで叩く行為の敷居を下げているのが「ネット上では何をやっても良い」「(相手が)叩かれて当然」「自分の身元は割れない」という(正しくない)認識です。

おわりに

ドラマ「3年A組」の話に戻りますが、残念ながらボリューム・ゾーンの人々にメッセージは届かないでしょう。 単にエンターテイメントとして捉えて自分たちのこととは考えもしません。だから春名風花さんが書いているようなことが起きるわけです。 ドラマでも「ブレイクするってのはばかに見つかることだ」 という例外からは逃れられないということです。

音楽系のブログなどに対して暴れるヒマがあるなら、ギターを練習してよい演奏をしてYouTubeにでも上げれば良いのです。

でも、「ギターが上手くない。誰からも評価されない(業績評価)」「上手くないからバンド内での関係がぎくしゃく(対人関係)」「音楽仲間でのポジションも今ひとつ」「趣味のギタリストとしてはおろか本業での将来も危うい」みたいな人が過激な行動で間違ったストレスの発散をしているということでしょうかね。

Adsense広告