映画: そして父になる

(ネタバレ注意です。)

セリフ一つ一つ、シーン一つ一つがあざといばかりに計算されていて、「うーん、やられた〜」というのが感想。2回見ちゃいましたよ。主人公が継母に「…あのさ、…謝りたいと思って」と電話する場面からは、涙腺が緩みっぱなしです。

いわゆるアダルトチルドレン(まぁ機能不全家庭で育った子供のこと)の主人公の変化を追う内容なのだけど、出生時の子供の取り違えそのものはきっかけに過ぎず、この映画の本質ではないでしょうね。離婚・再婚によって同様な局面はいくらでも起こり得るのではないかと思います。

福山雅治演じる主人公がかなり嫌な奴、一方でリリー・フランキー演じる(取り違えた)もう片方の子供のお父さん役のコントラストも演出ですね。福山雅治側は仕事をバリバリやる「デキる人」風なのだけど、実際は…。リリー・フランキー側は奥さんの尻に敷かれているダメ親父風なのだけど、実際は…。両者の妻との関係、姑・舅との関係、そして子供との関係など、これでもかと対照的に描いて、実際どっちがダメ親父なんですかと突きつけられるようで、なんだか正直辛いですよ(笑)。

かつては家庭を顧みず、今なお偏屈な父親を認めていないにも拘らず、知らず知らずにその父親と同じような父になっていた自分、そして「馬と同じで血が大事だ」なんていう父親の価値観に染まってしまう自分に、主人公が気づいていく。皮肉にも故意に赤ちゃんを入れ替えた看護師の言動によって自分と継母の関係について教えられる。などなど、主人公の心の変化を辿るには2回くらい見るのがおすすめです。

タイトルの「そして」に込められた意味を鑑賞後にしみじみと考える映画で、お父さんが見ると各人が感じるところがあるんじゃないかな、と。

一つだけ文句をいうと、エンドロールで使ったグレン・グールドのゴルトベルク変奏曲(1981年ヴァージョン)のアリアは、編集せずに全部使って欲しかったですな。せっかく感動の涙を流しているところに、プチッと短く編集されていて違和感あります(ここで我に戻ってしまった…)。あれくらい人気のある曲を使う時は気をつけたほうが良いと思いますぞ。