NEC 筑波研究所と基礎研究所の歴史を振り返ってみた

風のうわさでNEC筑波研究所を閉じると聞いていましたが、ようやくニュースでも報じられました。2020年3月末に閉鎖とあります。

Twitterではさほど言及されていないようで、そんなものでしょう。

【茨城新聞】NEC 筑波研究所を閉鎖 来年3月末 拠点集約、コスト削減

NECのプレスリリースでも簡単に述べています: 2019年3月期 第3四半期決算短信[IFRS](連結)のプレゼン資料 6ページ目

かつて働いていた職場がなくなるのは去った者でも寂しいものです。

この機会にNECの筑波研究所と、数年間在籍していたNEC基礎研究所の歴史をおさらいしてみました。ぼくの記憶違いもあると思いますが、大目に見て下さい。

NEC筑波研究所はどんな拠点だったのか

ロケーション

つくば市は工業団地と呼ばれる地域が8箇所あり、NECの筑波研究所は西部工業団地に作られました。

開所と閉鎖の時期

筑波研究所は平成元年(1989年)に開所しています。

2020年に筑波研究所がなくなるとすると約30年の歴史に幕ということになりますね。 ぼくはその半分くらいに在籍したことになります。

研究領域

NECの筑波研究所は材料研究・半導体デバイス(光通信系・LSI系)研究の拠点でした。 時期によって違いますが、ロケーションの影響なのか、どちらかと言うと基礎研究よりの雰囲気だったと思われます。

2000年くらいまでは光通信系の半導体デバイスの研究部隊が多く在籍しました。 LSI系のプロセス研究の部隊も在籍していた時期があります。 基礎的な研究をする部隊として基礎研究所という研究所があり、1989年からは筑波研究所にありました。

川崎市にあった中央研究所拠点が閉鎖された関係で、2000年代の中盤からは材料系の研究者が移って来ていました。 つまり、2005年以降は材料系・デバイス系はすべて筑波研究所に集約されるような様相でした。

規模

2000年に入る前くらいは最大で300人規模の拠点でした。 その後は、光通信系の研究者が大津に異動し、またLSI系の研究者も相模原などに異動し、減少しました。

ぼくが辞める2013年頃は100人を切っていたと思います。

基礎研究所

歴史

NECの基礎研究所は 精密工学会誌 53 (1987年)によれば昭和57年(1982年)に設立とあります。

基礎研究所は2004年ごろに基礎・環境研となり基礎研究所そのものは消滅。 基礎研究所の歴史は20年ほど。

研究テーマ

上記のリンク先によれば設立の当初から材料研究が主となっています。

高温超伝導などの材料系、半導体デバイス系、第一原理計算系などの研究グループがありました。 これらの多くは、どこかしら半導体事業との関連を持っていました。

よく知られた成果

基礎研究所のよく知られた成果はカーボンナノチューブと量子ビットの二つでしょう。 この二つはNECの筑波研究所/基礎研究所発の輝かしい成果であったと言えます。 ただ、これらがNEC本体の業績にどれだけ貢献したか、というのは意見が分かれるところです。

NECの材料・デバイス系研究の変遷

基礎研究所や筑波研究所という視点ではなく、NECの材料・デバイス系の研究について見てみます。

2004年以降は材料・デバイス系の研究所の名前が目まぐるしく変わる

ぼくは約5年間を基礎研究所の研究者として在籍しましたが、その後の職場の拠点は変わっていません。 その代わりと言ってはナニですが、組織の名称が変わっていきました。基礎研究所の後は、基礎・環境研究所、グリーン・イノベーション研究所、 スマートエネルギー研究所などと、数年の単位で研究所の名前がころころ変わっていきました。

組織の名称が短期間に変わるというのは、この場合ネガティブな意味があります。 この変遷は、会社の戦略というよりはむしろ、旬と思われる領域に研究を集中していかざるを得なかったということだです。

ぼくが在籍した1998年から2013年は半導体デバイス領域からナノテクへ、そして環境技術(燃料電池やリチウムイオン電池)へ移行していた時期でした。 エレクトロニクスから環境技術へ、という流れが読み取れます。これが会社の戦略として仕掛けているなら、良いのですよ(以下自粛)。

半導体部門の分社化

NECの材料・デバイス系研究の変遷を考えるうえでは、NECの事業状況の変化を知ると良いです。

2002年に半導体部門をNECエレクトロニクス社に分社化。これにより連結内とは言え、半導体系の受託研究費用が入りづらくなります。 その予算が入りづらくなったため、この辺から半導体・材料系の研究所全体の雲行が怪しくなります。

この時期から半導体や超伝導体研究ではないテーマ、例えばエネルギー関係(燃料電池)のテーマを立ち上げて、これも国プロジェクトに応募したりしました。

半導体部門をルネサスエレクトロニクスへ統合: エネルギーデバイス(リチウムイオン電池)系の研究に集中

そうこうしているうちに2009年は決定的な出来事が起こります。

2009年に半導体部門をルネサスエレクトロニクスに統合する方針が出されて、研究所を含めて大幅な人員整理がされました。 この時の社内は血だらけです。大津の研究所は閉鎖、相模原の研究所も半導体系は閉鎖、相模原の半導体工場も閉鎖。 移籍組と残留組に分けられ、半導体系の人員はエネルギー関係に移ってきた。

この時期の動きに比べれば、筑波研究所の閉鎖はかなりマイルドな動きです。

エネルギーデバイス関係事業の終焉

自動車向け電極事業、家庭用蓄電事業などのエネルギーデバイス系の事業も2015年ごろから終息に向かいます。この辺りの動きは外からしか分かりませんが…。

こうなると、材料・デバイス系の研究領域は社内出口がまったくありません。 筑波研究所の閉鎖も、NECの事情としては致し方ないものと言えます。

20年もかけて終結?

2002年のNECエレクトロニクス社に分社化の時点から、材料・デバイス系および周辺の研究活動がたどる道はほぼ決まっていたのです。

それを20年もかけて終結させるのは疑問でしかありません。

多くの研究者は配置転換(テーマ替え)しました。 このような時に研究者を切らなかった経営姿勢も意見が割れるでしょう。

幹部が研究者が失職しないように奔走したのは知っています。 しかし、まだまだ若手研究者が多かった時期にこの手の延命措置を講じたのが良かったのかどうか。 結果的に、半分以上は飼い殺し状態になったとう面はありそうです。

辞めていった人は多いですが、一方でやめるタイミングを逃した人もいたと思います。 しがみついても研究所の状況が改善する兆しすら見えないのに、自分から踏み出せないということなのでしょう。 だからこそ、会社からすっぱり最後通告を出してあげるのも会社の思いやりではないですかね。

最近のNECは希望退職を募っているようですが、ガタガタになってからではなくて、ブランド価値が高い時期のもっと早くにやるべきだったのです。