竹内薫著「理系バカと文系バカ」

竹内薫著「理系バカと文系バカ」(PHP新書)を紹介します。ちなみに著者はサイエンス・ライターですが、科学史・科学哲学と物理学の両方の学科を出た理学博士でもあります。

私は電気電子工学科を出て、今は技術系な仕事に就いてはいますが、小学校までは算数や理科は不得意で、中学校までは社会や英語が得意(点数が良かった)だったとう、どちらかと言えば文系よりな子でした。高校に入ってから少し数学が好きになり、でも相変わらず物理は苦手なまま。それでも小学校でラジオ作りに熱中した勢いのまま電気電子工学科のある大学に入り、その後学部の二年生位から自分で物理を学んで今に至っています。そういう履歴を経た者としては「理系」「文系」の分け方は好い加減なものと思っています。

それでも日本だと「理系」と「文系」と分けることが割合普通なことですが、良いか悪いかと言うと、個人的にはこういう見方は良くないなと思っています。その理由は、

  1. 物事をステロタイプで見ることに繋がる: 『理系だから〇〇』『文系だから〇〇』と言う風に決めつける見方の癖がつく
  2. 自分自身の世界・限界を狭くする: 『自分は理系/文系だから〇〇は無理/必要ない』という態度を助長する

ことかなと思っています。前者について言うと、人や物事を正しく見ることを放棄し、『より分かりやすい/単純な分け方』 でしか捉えなくなる点で有害です。 後者は他人に対しても、表層だけから『彼/彼女は理系/文系だから、〇〇なはず』という御節介な価値観を押し付けること になります。 私自身も『理系の割に意外と文学や芸術系にも詳しい』的に評される時があって欝陶しいですし、自分ではそんなの普通だと思うのですが、固定概念でガチガチの人々には理解しがたいものらしいですね。

この本は、そうした『文系』・『理系』の概念の弊害、問題提起、どういう方向を目指すべきかを軽い文章で整理しています。 結論から言うと、どういう方向を目指すべきかは「文理融合型のバランスのとれた人物になるべきよ」、という至極まっとうな結論で新味はないのですが、そのために具体的なアクションまで提示してくれているのは評価できると思います。

『文系バカ』の典型例として(引用は正確ではない)

  • 血液型診断や占いが気になって仕方がない
  • 取説は困った時しか開かない
  • 大抵のことは「話せば分かる」と思っている
  • ダイエットのために「カロリーゼロ」のドリンクをがぶ飲みする
  • アミノ酸・カルチニン・タウリンなどのカタカナ語にすぐ飛びつく
  • 「社会に出ると因数分解なんて必要ないよね」と言ったことがある
  • 「インド式算数」を覚えるよりは電卓を使えば良いと思っている
  • なんでも「平均値」で判断してしまう
  • 抗菌コートのトイレでないと入りたくない
  • 物理学と聞いただけで「難しくて分からない」と思ってしまう

一方の『理系バカ』の典型例としては

  • できれば他人と関わらないで生きていきたい
  • 新型・最新テクノロジーの商品を買うために徹夜して並ぶ
  • 相手が関心のないことを延々と話す-女性との会話も下手
  • 独善的でいつの間にか相手を怒らせている
  • 「もっと分かりやすく説明して」とよく言われる
  • 分からないことは何でもネットで検索してしまえ
  • 感動するポイントが人とズレている
  • 文系より理系の方が人として「上」と信じている
  • UFOや心霊現象について語ることは犯罪に近いと思う
  • 意外とオカルトにハマりやすい

とあります。そうかなという部分と、そうでないのではという部分はあります。 『理系』が指しているのは『理性的』とか『論理的』という面もありますね。 単純に出身学部から云々よりも、「科学的な思考」か否かという点で分ける方が合理的と思います。 行動心理学や経済学でも科学的な仕事はあります。 初期仏教仏典の成立時期の考察でも、様々な時代考証・証拠から合理的な結論を導いている博士論文を知っています。

『文系』優位の社会的な弊害として

  • 生涯収入的には文系の方が高いため、理系の魅力を低く感じる若年層が一定数いる
  • 企業の経営は文系の人が多いため、理系は出世が遅い/チャンスが少ない
  • 政治家も文系が多い。得に首相はほとんどが文系出身者。技術オンチがリーダーでは技術立国のリーダーシップが取れない(→技術政策も一部の専門家のいいなり)
  • 日本の官僚は文系出身者が大多数で技術的な戦略策定が上手く行かない
  • マスコミ関係者も文系出身者が多数なため、理系関連の記事・番組・出版が冷遇される

等の問題を指摘しています。この辺りは私も同感です。 こうした社会的な構造を生む要因として、日本は「理系が育ちにくい」背景を指摘していて、この辺りの考察は大いに頷けます。 理系な人々を後押しする施策は必要だと思います。特に奨学金の問題は国が長期的な戦略として取り組んで欲しいと切に思います。

ただ第4章「理系センスがある人はどこが違うのか」は、全体的にまとまりに欠いて主張が捉えにくいと思いました。 理系センスを磨いて欲しいというのが著者の主張と思われるが、全体として、理系人口の必要性の訴えは弱目に感じますね。 この辺りの主張を補強しないと、バランスの重要性が訴求しづらい。 現在の産業はサービス業とは言ってもデータサイエンスやIT技術に乗っからないものは無いと言っていいでしょう。 ましてや工業となれば技術レベルで世界で競争しなければならない。 こうした「技術」があって国が栄えている。その技術を支えているのが科学だから、その重要性にページを割いて欲しいと思います。 そして、それは文系的な文化・素養を否定するものではないことも強調されるべきでしょう。

論理的思考の欠如に由来する脆弱さの一例として、「サイレントマジョリティー」の話は皆さんにもよく理解して欲しいと思っています。 雑に言うと「反対者の声は上がり(届き)易いが、賛成者は『賛成』と敢えて主張することは少ない」ということ。 例えばネットで「〇〇に反対」と少し多めに目にしたとしても、それが大多数の意見とは限らない。 これは理系的な思考なのか否かというと、個人的には理系・文系はあまり関係なくて、もっと別な観点での思考と思っています。 全体の仕組みや構造にまで想像力を働かせることであって、論理的な思考訓練を重ねることが必要です。

また、理系はコミュニケーション能力が低いかというと、そういうことではないと思っています。 コミュケーションの重要性を理解していないのだと私は思います。 重要性を理解したならば、TPOに合わせてどのようなコミュケーションが効果的か考えて、硬軟織り交ぜて用いることが出来る(はず)。 なぜ、コミュケーションの重要性が分からないかと言えば、科学技術系では数値的な物指で語れる場面が多いのが一因とは思ういます、自分のなかでは整理ができていません。

とまぁ、ネタ的には気楽に読めて、最後に「文理融合センスを磨く5ヶ条」もあってお薦めです。「ランダウ・リフシッツの本が売れていた」時代があった旨の記述部分で「本当かよ」と思いながらも、私はランダウ・リフシッツで勉強したクチなので、その末端の一人なのかなとも思いながら、本を閉じました。