オンライン飲み会は修行か罰ゲームか

先日、職場のオンライン飲み会に参加してしまった。「しまった」と書くあたりで、すでに結論は出ている。

つまらない話の時は音声を切る

オンライン飲み会の恐しい点は、逃げ場がないことだ。 退屈な話がはじまっても、それとなく興味がないと伝える術がない。話題を変える間の手も入れづらい。 苦行の始まりである。

なので、私は音声を切って別のPCでYouTubeを再生していた。

問題は、話題がひと区切りがついたのか分からなくことだ。 「最初から飲み会ではなく、YouTubeを見るほうが良かった」という深淵な真理にたどり着いた瞬間であった。

自分が食べている時はカメラを切る

オンライン飲み会の最大の地獄は「咀嚼映像」である。 雁首そろえたオッサンが噛み砕く姿をフルHDで見せられる拷問。 これを苦行と言わず何と言う。

子どもが食べる姿は天使だ。しかしオッサンの食事シーンはホラー映画なみの破壊力だ。 PCのカメラは残酷な現実を映し出す。

私は映像の受信を切った。そしてエチケットとして、こちらのカメラも切った。 結果、音も映像もない状態になった。 もはや、飲み会に参加している実感は無い。いや、既に参加していないのと同じだ。

教訓

結論としては、オンライン飲み会は飲み会ではなく、娯楽でもなく、「人間関係という名の業務」の延長である。 修行あるいは苦行の一形態である。もしかすると、そういう研修だったのかも知れない。

今回は「職場が食事を手配してくる」というエサに釣られてしまったが、今後は和牛ステーキを手配されても断ろう。 牛のように咀嚼している同僚の顔を鑑賞するくらいなら、参加しないほうがずっと良い。

オンライン飲み会は孤独を癒すどころか「孤独のほうが圧倒的にマシである」という真実を教えてくれた。 ありがとう。