CASIOPEA / SUN SUN

カシオペアの元ベーシスト櫻井哲夫のポスト。 「かつしかトリオ」という名で結成されたバンドの取材があったとのこと。

メンバーは櫻井哲夫、向谷実、神保彰。というカシオペアの黄金期の3人。黄金期のカシオペアで育った身としては、かなり複雑な心境になっている。

カシオペアの黄金期は、自分の感覚ではHALLEか、DOWN UPBEATくらいまで(あくまでも自分の感想)。黄金期を過ぎようとした時期のアルバムがSUN SUN。

このSUN SUNは曲の前作のHALLEからクオリティが下がったように感じられたのを記憶している。 プロデューサー(カルロス・アロマー)を外から呼んできた作品で、ボーカルを入れたりと、今から思えば迷走しはじめた頃に見える。 Conjunction、Coast To Coastのような曲は有名だが、全体として目新しさはなくマンネリ感が漂う。 Coast To Coastはメロディだけで成立する曲としては良かったが、ソロらしいソロがなくて、各楽器のソロも見所のカシオペアとしては物足りない気もする。

パット・メセニー・グループのようにブラジル・テイストを大幅に導入するなど、イメージ・チェンジやもう一皮剥ける成長がバンドに必要な時期だった。 このことは、おそらくメンバーも感じていただろうし、それゆえの迷走なのだと思う。 テコいれに「売れているプロデューサー」を使うというのは、安直すぎたとは思うが。

このSUN SUNが1986年作品。この後、PLATINUMを1987年, EUPHONYを1988年に出して、World Live ’88のリリース後に黄金期メンバーから櫻井哲夫と神保彰が抜けてしまう。 (自分はPLATINUMまでは追い掛けたが、そこで自分のなかではカシオペアは止まっている。 鳴瀬がベースのカシオペアは、もはや別のバンドとしか思えない。)

その後、神保彰はカシオペアのサポートメンバーになったりする時期もあったが、櫻井哲夫はカシオペアとしてほとんど共演していない(1999年に記念コンサートに参加したくらい?)。確執もあっただろうが、鳴瀬がメンバーの座を奪った面が大きいように思われる(個人の感想)。というのも櫻井と野呂はPEGASUS名義で一緒に活動している実績があるから。

このようなバンドの歴史を眺めていると、野呂一生が「かつしかトリオ」に合流やゲスト参加がないのは、邪推を膨らませてしまう今日この頃だ。 残念ではあるが、大人の事情もあるのかも知れない。現カシオペアが解散もしていないのに、安易に旧カシオペアが集合というわけにも行かない気もする。

1980年後半の櫻井哲夫と神保彰のカシオペア以外の活動への入れ込み様は、カシオペアでのマンネリ感や制約へのジレンマなどの背景があったのではないか、と思う。 ある程度売れるバンドになると、モーメンタムが大きくなるというか、関わる人・組織も増えて、自分達だけでコントロールできない部分は大きくなりそうだ。 (安藤まさひろのスクエア引退時のコメントにはそのようなプレッシャーの大きさを感じたものだ。) 遅かれ早かれ、カシオペアというバンドにはどこかでメンバーの入れ替えのような気分転換の時期が訪れたのではないかと思う。

そんなある種の伸び悩みやジレンマも見えてきそうな時期のカシオペアの1枚。 この頃のライブはメンバーのテクニック的に脂が乗っている時期だけに楽曲のパワーが若干落ちてきたように思えたのは自分だけだったのか。