ビンテージ・ギターに心魅かれない理由

これまで何本かギターを買っているが、ビンテージ・ギターには縁がない。

ギターを買う際の選択肢に入ってこない。その理由を考えてみた。

たぶん以下のような理由だと思う:

値段が高すぎる

今どきは自家用車が1台買えるような値段でビンテージギターを買うことになる。 小心者は、そんな高額なものが家の中にあると心配になってしまう。

投資対象であれば購入するもの良いが、それは保管・管理がしっかりできる人の話だと思う。

ギターは改造するのが当たり前

自分の感覚では、基本的に楽器は何かしら改造をするのが前提である。 特にオールドのフェンダーはフレットが低いから、まずフレットを交換したくなると思う。

一般的にビンテージ・ギターは部品を交換すると価値が下がる。 状態の良いビンテージ・パーツと交換するとしても、やはりオリジナルを維持していないと価値は下がる。 この点で、自分の好みに改造することは覚悟が要る。

そもそもビンテージギターの値段が高い。 高いのに弾きやすくない場合、高い金を払った楽器を自分好みに改造して市場価値を下げることになる。 この点でもビンテージ・ギターはあまり魅力的と思えない。

まあ美術品のように飾って楽しむ向きは別だと思うけどね。

自分のアイドル・ギタリストがビンテージギターを使っていない

上記の改造と関連する。

多くのギタリストは、ストック品をそのまま使わず、自分の好みに改造している。 ベースとなっている楽器でビンテージに拘っている人はいるが、少数である。

古くはジミー・ペイジ、ジェフ・ベックも自分好みに改造している。 ペイジはセイモア・ダンカンにピックアップのリワイヤリングを依頼していたと読んだことがある。

エリック・クラプトンにいたっては、SGをペイントしたり、パーツを組み合わせたギターを愛用していた(ブラッキーなど)。

スティービー・レイ・ヴォーンはベース用フレットに打ち換え、トレモロも左利き用に変更している。 ピックガートにもボディにもステッカーを貼っている。

シュレッド系(速弾き系)は言わずもがな。 薄いネックシェイプ、ジャンボ・フレット、フロイド・ローズ、ハイパワー・ピックアップはビンテージ・サウンドとは対極にある。

ジャズ・フュージョン系もビンテージ・ギターとは無縁な世界と思う。 フルアコなどは古いと状態が悪くなりやすい背景はあると思うが(トップ板が下がってしまうなど)。

ジョン・スコフィールド、パット・メセニーはアイバニーズを愛用している。 パット・メセニーは「頑丈だから」愛用しているとインタビューで読んだ記憶がある。 毎日のように演奏するプレイヤーにとっては、良い音も必須だが、壊れにくい楽器であることも重要な要素なのだ。

70年代・80年代にブームになった日本のフュージョン・ギタリストはヤマハやコンポーネント・ギターを愛用してきた。 こういう人達をアイドルにしてきた自分にとっては、ビンテージ・ギターに憧れる理由はないし、むしろ自分好みのギターを組み上げるほうに憧れる。 (安藤まさひろは2000年以降で一時期ビンテージギターを使っている時期がある。)

ちなみに、比較的ストックのままで使うギタリストには、ロベン・フォードやジョー・ボナマッサがいる。

ギターは自分で鳴らすもの

自分は実際にビンテージを弾いたことないから説得力はないが、楽器屋の動画を見る限りでは、ビンテージ・ギターはビンテージの音がする。

これを「心地良い」「気持ち良い」と思うか、「ギターに弾かされている」と感じるかの違いはあると思う。

自分の場合は「自分の音で鳴らす」ようにしたいし、そう努力してきた。 なので、ビンテージ・ギターでないほうがチャレンジしがいがある。

ギターの音が気に入らないことで、悩み、試行錯誤するのも大事なことだと思う。 原因が弾き方なのか、ハードウェアなのか、そうした探索も経験値を上げる要素であるし、もし何か掴むことが出来ればそれは大きな糧になる。 (特にエレキギターはアンプもセットで考える必要があることは忘れてはならない。)

おわりに

誤解して欲しくないが、自分はビンテージ・ギターが嫌いというわけではない。たしかにビンテージ・ギターの音は良いと思う。

ただ、「ビンテージ・ギター」が良いかどうかは人による。

ギターに限らず、評価軸を自分のなかに持つことが重要だ。 世の中で「ビンテージ・ギターは良い」と言われているからといって万人とって良いわけではない。 自分で本当に価値があると思えば、手に入れれば良い。 そうでなければ、本当に自分が価値を感じるのは何かを考えることのほうが大事。「モノ」なのか「コト」なのかも含めて。

ビンテージだけでなく、よく分からないからとりあえず評価が固まっている「ブランドもの」を買うような態度はおすすめしない。 商売のカモにされるだけである。