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会社人生は大部屋とともに
自分は大部屋で働くのが好きではない。だが、今までお勤めしてきた職場では、ほとんどずっと大部屋だ。
この先も個室を貰える可能性はなさそうだ。
ただ会社の偉いひとは「大部屋が良いもの」であると固く信じているようだ。 それは決して自明ではないと思うのだが…。他のオフィス形態を知らないのだと思う。
ポスドクで行ったドイツの大学では博士の学生は個室をもらっていたりする。 自分は2-3人でシェアする部屋に入れられたが、日本での学生部屋よりはずっとマシだった。 だいたい先生や助手が邪魔しに来ない。電話の回数も少ない。 ただ、あまり仲のよくない人がいると面倒ではある(だった)。
大部屋が好きな人ってどんな人?
たまに考える。大部屋が好きな人ってどんな人なのだろうか。
前々職で、研究所のレイアウトの大改造の機会があり、その際はパーティションが低くなり、4人ごとの区画になった。 これは当時の研究所のトップの役員のアイディアとか云々。トップ自らのアイディアではないだろうが、採用したのはトップだろう。
下の絵のような配置だったと思う。記憶が定かでないところはある。
一応4人は背中を向けあう形になっていたが、4人の中央に円卓が置かれ、椅子を回転させると「議論ができる」ことになっていた。 (この卓が実に邪魔で、通りにくい。)
このレイアウトで自分が在籍していた数年間では、実際に自席で議論することはほとんどなかった。 議論は会議室でやることのほうが圧倒的に多かった。 こんなオープンなところでは議論はしづらいのだ。
研究所のような考え事が多い仕事場では、周囲に配慮して小声で話す。大部屋ではよけいに議論はしずらい。 すぐに議論できそうなのに、深い議論は生まれづらくなるという逆説的なおまけまで付いてくる。 「すぐに議論ができるレイアウト」なんて、浅知恵の極みなのだ。
仕事をしていれば何かしら会話は避けられないし、人の行き来はある。大部屋であれば、これらは必然的に多くなる。 このように大部屋は環境として集中はしづらいから、生産性は下がる(と自分は思う)。 実際、研究結果も上記のような傾向はあるようだ: オフィスが「オープン」な設計だと、生産性が低下する──企業での実験の詳細と、そこから見えてきたこと | WIRED.jp
今思えば、実は研究所を潰すための布石だったのではないか。あるいは社会実験的な何かかも知れない。 さすが役員ともなるとステルスな悪知恵もスキルのひとつとして装備しないとね。
ワイガヤ至上主義
ワイガヤという言葉もよく聞くが、毎日ずっとワイガヤをやっている職場というのはあるのだろうか。 そのうち話題も無くなるだろう。たまにやるからワイガヤになるのだと思うぞ。 そのうちワイガヤのワイが猥談のワイになりそう。
オフィス・ワーカーが求めているものは「静けさ」「プライバシー」「作業スペースの広さ」
周囲に人がいると集中しづらい。これは神経質がどうかは関係なく一般的にそうらしい。
オープン型オフィスは、生産性は下がる|エビデンスマン@武器になるエビデンスによれば、個室以外のワーカーの不満は「プライバシー」。改善するなら「作業スペースの広さ」らしい。
ワーカーが欲しいのは「静けさ」と「プライバシー」。これは自分の感覚とも近い。
近くの席で大声でTeams会議をされると、軽く殺意を覚える。 まあ無神経で社会性が低い未開人を呪いながら自分が自宅に帰ってしまうのだが。 未開人は群れないと安心できないらしいからな。
ポスト・コロナでオフィスで働く意味とは
自分の場合は、出社してもほとんどノイズ・キャセンリングのヘッドフォンで仕事をしている。 コミュニケーションが重要だとは思うけど、勤務時間中ずっとコミュニケーションを取ることはない。 他人の仕事を遮ってまで話すことも躊躇する。
コロナの騷ぎを経験した今ではリモートワークでは成立しない業務は何だろうか。 ポスト・コロナでは出社する意味はかなり薄まっている。
自分の業務の場合は出社しない理由のほうが多く列挙できそうだ。 それでも出社しろというのは、心身ともにおうち生活に過度に最適化されないようにとの「思いやり」なのか。ありがたいねー(棒)。 (就労年数が浅い若手は出社の意味合いが少し違う気はするけどね。)