自分は同窓会に参加したいとはさほど思わない。
その辺りのモヤモヤした気持ちを少し整理しようかな、と思う。 色々な視点から検証するのは大事(たぶん)。 あ、いや、単にググってみたら英語圏では結構この手の話題があったので真似ただけだ。
飲み会が好きではない
いきなりダメダメな理由だが、飲み会が好きではない。
自分が酒を飲まないからというのもあるが、あんまり話題が深いところまでいかないの理由かな、と。 煙草がイヤなのもある。
そもそも話題がない
そもそも話題がないのだよ。高校の3年間で接触があった相手の数なんて限られる。 共通の思い出を持つ人が少ないので話題に困る。
自分は高校生の当時から友達が少なく、放課後もさっさと帰宅して楽器の練習しているような子だったので、放課後に誰かと遊んだ思い出もない。 まぁ、友達が少なくて同窓会に出るのがそもそも間違い、という指摘は正しいと思う。
話題がないと往々にしてゴシップの話になる。親しくなかった人のその後の人生については、正直どうでも良い。
コンプレックスをベースにした話題も多々ある。今さら「自分は◯◯を出ていない」云々。 どういうリアクションを期待しているのだろうか。
高校時代を美化しすぎ
自分は自身の高校時代が人生で一番良かったとは思っていないし、もう一度戻りたいとも思わない。少し懐かしい程度。
自分にとって、高校時代はそれほど美しい時代ではない。 今よりずっと未熟で失敗ばかりして、思い出すと恥ずかしいことが多々ある。 人生には、そのまま遠くから見ている方が良いこともある。
昔のイメージのまま話される
当然だが、今の自分と高校生の時の自分は違う。
でも、残念ながら元同級生が持っている高校生の時のイメージをリセットすることは難しいようだ。
それだけでなく、今働いている会社のイメージで壁が出来ている感じを多く受ける。 「人」そのものよりも、その人の属性で理解した気になる人は多い。
視点を変えて、こうした機会に新しい友人関係を構築する、ということもまあ考えられる。 けどね、当たり前だが、同じ学校を出たからといって価値観が合う、話が合う、気が合うとは限らない。
後ろ向き
昔話を毎年するのも違うように思う。リタイアした訳でも無いのに、後ろ向きな感じはする。
結局、「今」が充実している人は昔を振り返る必要はあまりないと思う。 自分の出た高校は「良い学校」として地方では名が通っているようだが、「良い学校」を卒業したというレッテルにすがるのではなくて、社会に貢献する人生を送るのが「良い学校」の卒業生として正しい姿だろう。
同窓会総会の企画・運営はreunionとしては確かにいい機会ではあると思う一方で、高校時代に文化祭・運動会で完全燃焼できなかった燃えかすのようにも思う。
おわりに
実は7年ほど前にクラスの同窓会には参加して凝りた。しばらくは行かなくて良い。まあ、もう数年経てば、老いぼれて自分の気分も変わるかも知れない。
Googleで “why i won’t be at my high school reunion” と検索するとblogが沢山ヒットして、アメリカの高校事情も垣間見えて興味深い。
アメリカでもイジメは結構深刻そうである。