東日本大震災の帰宅に9時間かかった

今回の地震から帰宅するまでのことを書いてみます。

地震前後

3月11日は川崎の事業所で研修があり、朝の10時から7階建ての建物の7階で研修を受けていました。ちなみに普段はつくばにある職場に出勤しています。

地震があった2時50分くらいは、研修の午後の前半が終了して休憩の最中でした。昼食で同僚と話に夢中になって昼休み終了ぎりぎりまで食堂にいたため、トイレに行くタイミングを逃した私は、この研修の休憩でようやくトイレに行き、戻ってきたところでした。

地震の直後に部屋の電気が消えたことで、停電したことが分かりました。最初の揺れからなかなか収まらず、さらに大きな揺れが来たときは窓から離れるように指示がでました。そうやって、研修を受けていた皆で様子を見ていました。

そうこうしてるうちに、避難指示が出て建物の外に出るように言われました。そこで階段で1階まで降りてみると、他の人々も建物の前に集まっていました。外でも余震が感じられました。ポツポツと雨が降りだした頃に、再度建物内に戻るように指示され、階段で7階を登りました。

3時半過ぎに、つくばの職場に連絡をとると、皆が外に避難していること、火災などは起きていないこと、停電もすぐ復旧したことなどを知らされます。ひとまず安心しましたが、この時点では家族や親とは連絡がつきませんでした。さらに、相模原の関係する職場にも何度電話をしてもつながらず、後に相模原地区は停電が続いていることを知りました。停電はしたもののネットワークは動いていたので情報を集めだしました。そこで、最初の岩手県沖の地震の他に、茨城県沖の地震も発生したことを知ります。しかも後で起きた茨城県沖震源の場合の震度が、私の自宅周辺で「震度6強」と表示されており、心配になってきます。

静岡県にいる弟のところに連絡がついたのが4時過ぎで、千葉の父親との連絡がつかないと言われます(私も連絡がついていませんでした)。妻と連絡がとれたの4時半でした。家族は全員無事で、家の中はほぼ変わらず、私の部屋だけ若干散らかっている以外は問題無しと知らされます。

午後5時前くらいに、帰宅可能な人に帰宅の許可がおりたため、20名ほどのうち5名を除いて帰宅していきました。鉄道が機能していないこと(JRが当日の運転を見送るなど)は知らされていましたが、いろいろな事情があって徒歩で帰宅を試みる人も何人かいました。残った5名はいずれも徒歩では現実的な時間で帰宅不可能な者でした。

社内で一泊

研修スタッフの中にも帰宅困難者の方がいて、6人ほどでグダグダしながら過ごしていました。「食事の供給があります」とアナウンスがありましたが、それから2時間ほどしてようやく食事を食べることが出来ました。これが8時前後だったと思います。食べた後は、椅子を6つ並べて横になりウトウトしていました。

徐々に東京方面の停電が復旧していくのが見て取れました。東京タワーなどもライトを付けていて、また高層ビルの灯りも見えました。川崎市の会社の周辺は徐々に停電が復旧し、8時前後には、横須賀線・新幹線の線路を挟んで横浜方面はだいぶ復旧しているようでした。私のいる会社の事業所内は、東京電力の点検が終わるまで復旧させないらしい、ということを後で知ります。

夜中に寒くて目が覚めましたが、毛布の配給があると聞いて別の建物の12階まで取りに行きました。この時点では私鉄が運転を再開したという情報があり、帰宅できる人は帰宅をしていたようです。新幹線も何本かが運転しているのが分かりましたが、試験運転なのか、止まっていた列車を移動しているのかは分かりませんでした。

その後、電気が復旧するというアナウンスがあり、夜中2時くらいに電灯が復旧しました。電灯は復旧したのに、コンセントはなかなか復旧しませんでしたが、復旧を見越して携帯電話とPCを電源につないだまま、また眠りました。

帰宅へ

朝方5時半前後に目が覚めてしまい、そのままPCで情報を集めました。JRは「7時前後から運転再開」、私鉄は「運転再開中」、TX(つくばエクスプレス)は「秋葉原ー八潮間での運転再開を予定」などの情報を仕入れます。同じ方向にいくS氏、K氏と話し合いながら、「北千住・上野あたりまでは私鉄を乗り継いで行き、そこから先はJRが復旧することを期待する」というプランで行くことにしました。

7時前に父親と連絡が取れて無事が確認できました。これで家族関係は大丈夫そうでした。友人に電話をかけてみましたが、こちらも大丈夫そうで安心しました。でも少し眠そうで申し訳なかったなと思っています。

片付けや荷物をまとめるなどして、7時過ぎまで過ごしました。7時過ぎに我孫子方面のS氏、K氏、千葉方面のB氏らと一緒に出発しました。

武蔵小杉→大手町

東急東横線の武蔵小杉駅まで行き、渋谷行きに乗りました。この日に限って、すべて各駅停車で運転し、快速は運転していませんでした。

中目黒で日比谷線に乗り換えて、北千住を目指しますが、南千住までしか運転していません。そこで、千代田線で北千住に近づこうということで霞が関で乗り換えました(霞が関駅のホームでは座り込んでいる人が多数いました)。B氏はそのまま日比谷線に乗るということで、ここで分かれました。ところが、千代田線はこのとき大手町ー代々木上原間でのみ運転ということが分かりました。仕方ないので、とりあえず大手町まで行き、情報を集めることにしました。

大手町駅からJR東京駅まで移動し、聞くと上野方面には行くことが可能ということが分かりました。とりあえず、朝食を取ることにして駅構内から八重洲北口から外に出ました。

皆、考えることは同じらしくて、食べるところは人が並んでいます。入れそうなProntというお店に並びモーニングセットを頼みました。恐らく、土曜の朝にこんなにお客がくることは経験してなかったと思いますが、お店のスタッフの人も一生懸命対応されていました。

東京→上野

東京駅に戻って、京浜東北線が動いていることを確認し、プラットホームに向かいました。東海道線のところはプラットホームから階段下まで列が並んでします。京浜東北線のホームは、そこまで人が多くはありませんでしたが、プラットホームの上は満員状態でした。1本電車を見送るうちに山手線内回りが復旧し、一本列車がやってきました。それを見送った後、京浜東北線が1本来ましたが乗れず、次の電車が来る前に山手線が先に来たため、山手線に乗ることにしました。相当な満員電車です。ようやく上野まで到着し、常磐線のホーム方向へ行ってみると、長蛇の列が幾重にも形成されています。列の後ろは改札の入り口まで伸びていて、これに並ぶのは得策ではないと判断しました。その人たちが並んでまっている電車は、この時松戸を出発して上野を目指している、という状況でした。本数が非常に少ないように思われました。このころが11時過ぎだと思います。

とりあえず、「休みをいれよう」ということなり、喫茶店を探しましたがどこも一杯です。結局、サイゼリヤの上野広小路店に入りました。11時半前だったのですが、待っているうちにお昼時になり昼食を取りました。

上野→北千住

上野駅に戻り、日比谷線に乗りました。山手線のような混雑はなく比較的楽でした。しかし、車内放送で「TXは運転していません」と聞かされてがっかりしていました。こうなったらJR常磐線に乗るしかない、とこの時は考えていました。

北千住→流山おおたかの森

北千住では、千代田線ー常磐線の連絡口が閉鎖されており、結局JRは利用できないことが分かりました。一方、TXは流山おおたかの森まで運転していることが分かり、TXの改札前まで行ってみます。かなり長い列の人が並んでいますが、しばらく待っていると、それなりに列が消化されているのが分かりました。これは有望だと思いました。

午後1時33分に北千住を乗ることが出来ました。かなり窮屈でしたが、南流山でお客さんが大分降りて少し楽になりました。野田線が動いていなければどうするかを考えていました。妻からは迎えに行こうか?という問い合わせも携帯メールで貰いましたが、不慣れで恐らく混んでいる道を子連れで運転するのは危険だと判断して、迎えにくるのは断りました。実際、野田線流山おおたかの森駅の前は車で混んでいました。

流山おおたかの森→柏

流山おおたかの森で野田線が動いていることが分かりました。午後2時25分頃に柏行に乗ることが出来ました。

柏→我孫子→取手

柏駅では、すぐに常磐線各駅停車に乗ることができました。しかし、これは我孫子行でした。私が行きたいのは取手なので、我孫子で取手行に乗り継ぐ必要があります。

我孫子で、S氏とK氏と別れました。3人で行動出来たおかげで大分気分的には楽でした。ひとりで9時間の移動は精神的には辛かったと思います。

我孫子駅で待っていると、後ろの人が取手駅に車で迎えを電話越しに頼んでいるのが聞こえました。しかし6号線が混雑していて動けないようでした。恐らく、常総線沿線だけでなく、常磐線沿線の取手より先から迎えにきているのでしょう。妻に迎えに着てもらう選択肢はここでなくなりました。この時点では、関東鉄道常総線かバスのいずれかを使うことを考えていました。

我孫子では午後3時10分くらいの取手行にのりました。これも乗客が一杯でかなり窮屈でした。

取手には3時20分前についたと思います。車内放送で「取手より先の在来線は関東鉄道を含めて運行していない」と聞かされてて、バスを使うしかないと考えていました。実際、取手に到着後にホームから上がってみると、関東鉄道常総線との連絡口は閉鎖されていました。

取手→戸頭→自宅

関東鉄道常総線の改札では、バスによる振り替え輸送を知らせていましたので、乗り場近くまで行ってみます。すると、そこも長蛇の列で最後尾がどこか分からないくらいです。振り替え輸送は、常総線の各駅に止まるようなのですが、ほかにも路線の選択肢が無いか探してみました。何台もバスがやってくる中に「戸頭」の文字があるのが見えました。戸頭は常総線の最寄り駅なので、そのバスに乗り込みました。意外と空いていて、時間はかかりましたが午後4時前に戸頭駅に着いて、そこから自宅まであるいて4時10分くらいに帰宅できました。バスの道中、反対側車線は取手駅方面に大変に混雑していました。妻に迎えに来てもらわなくてよかったと思いました。

おわりに

交通機関のみなさん、お店を開いているみなさんは大変だったと思います。お疲れ様でした。そして本当にありがとうございます。

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