柴田淳が出ていたので「今夜くらべてみました」を録画で見てました。タイトル「トリオ THE 友達ほぼゼロ女」で、ゲストは柴田淳、石川梨華、水野裕子のお三方(敬称略)。 「友達ほぼゼロ」となると他人事とは思えない…。
指原莉乃が提供していた「ぼっちあるあるネタ」について、思い出を書いておきます。
- 卒アルの最終ページが空
中学校のアルバムは、それっぽいものを書いてもらった記憶はあります。
- 二人一組(を作って何かをしろ)が怖い
体育の時間くらいは大丈夫だったと思います。
私の経験では「グループを作れ」の方が困りましたね。修学旅行のグループは、ムリムリ頼んで入れてもらったと思います。
高校2年の時は、なぜかクラスで料理を作るイベントがあって、それもグループを作ることになりました。これも、どこかのグループにねじ込んでもらったのを覚えています。
この二つの出来事が、浮いている自分を認識したきっかけだったように思います。高校の頃は、受験のこともあって(こっちの方が重要でした)、この手の人間関係はあまり気にしていませんでしたが。
- ボウリングで自分が投げた後に振り向くの怖い(盛り上がってもらえない)
ボウリング云々は分かるような、分からないような。「周囲に盛り上がってもらえない」のはよく分かります。 単に自意識高すぎるだけかも知れませんね。
- 地元に友達がいないけど、SNSでチェックしているので、現状を知っている
これは、あまり無いですね。世代的にTwitterをやる人の方が少ないせいかな。私自身もTwitterをやっていません。
- 結婚式に呼ぶ友達がいないことを心配している
自分の結婚式は、実際そうでしたね。呼ぶ人をどうするかで非常に悩みました。職場の人を呼んでお茶を濁す感じです。 大学の関係者も呼びましたが、少なかったかな…。 とは言え、さほど親しいと思ってなくても、結婚式は呼べは来てくれます(笑)ので、あまり心配しなくても良いと思います。
指原莉乃が悩んでいるのは少し意外でしたが、確かに職場の人間をどこまで呼ぶべきかは悩むかも知れないですね。
友達の定義も人それぞれです。SNSのフレンド・フォロー・フォロワーの数が多ければ幸せとは限りませんし、少ないから不幸という訳でもないですね。
ただ特にアーティストの人は、薄い関係の取り巻き(その人たちに悪気はなくても)も多くてかえって孤独を感じそうな気はします。
あなたが友だちだと思っている人の半分はあなたを友だちだと思っていない という趣旨の論文もあったりします。過度な期待を持つと裏切られる可能性はかなり高いわけです。 「友達」はその程度の関係であることは認識しておく方が良さそうです。
私自身は、(理解しようとしない)友達よりは理解者が欲しいと思います。理解者が欲しい場合は、相手を理解する努力が必要だと思います。まず出発はそこからでしょうね。