はじめに
泉谷閑示の「仕事なんか生きがいにするな」を読みました。 最近読んだ本の中では一二を争うくらいに感銘を受けました。もっと読まれるべき本だと思います。
タイトルは過激というかインパクトありますが、釣りでも何でも無くて著者の主張そのままです。 ではどう生きるべきか、という問に対する著者の答えは「もっと創造的に生きるべき」ということかと思います。 「創造的」という言葉はむしろ「楽しむ」ということに置き換えても良いと思います。あまり難しく考える必要はなさそうです。 「楽しむ」というのは、その行為・活動そのものを楽しむことを意味していて、何かのための行為・活動ではないことが重要です。そのためには「敢えて無駄なことをしよう」と呼びかけているのが、この本の主張だと思います。
そのものの意味を持つ活動として、芸術の重要性がかなり強調されています。 ただし、世の中の全員が芸術家になれという主張ではなく、「もっと遊びを追求する生き方の究極」と思います。 ここで言う「遊び」という意味は、食べるため活動ではないということです。
目次
現代の風潮への批判
現代の風潮に対して批判的な部分は私がモヤモヤと違和感を感じていたところを整理してくれた感じがしています。
まず「ハングリーモチベーション」は現代では役に立たない。喰うために働くけど、でも働くってそれだけではないでしょう、ということですが、本気で議論しているのを聴いたことがありません。
「働かざるもの食うべからず」的な思考は、実はキリスト教の禁欲的な文脈に起源を持つ。さらに「労働に禁欲的に奉仕すべし」という資本主義の教義として根を張ってしまっているというのが現代の労働価値観である。
というのは衝撃的です。
「役に立つこと」「わかりやすいこと」「面白いこと」への傾斜は、私自身がどっぷり浸かっていて無自覚になっていたことを思い知らされます。これらの「インスタント的なものを有難がる価値観」は、往々にして私たちを精神的に追い込んでしまったり、自分を諦めさせてしまうと思っています。その「インスタント」主義はあらゆる活動の本質を軽視し、質を低下させてしまいます。研究なんてその最たる例でしょう。そして、「分かりやすい」テーマにはお金がつくが、「分かりにくい」テーマは予算がつきにくい世の中です。
きっとファインマンは楽しんで物理学をやっていた
何かのためではなくて、その行為そのものを楽しむという点で私が思い起こしたのが、アメリカの物理学者のファインマンです。 ファインマン物理学を読むとファインマンは自分なりの理解・方法で物理学を体系化していることが分かります。同時に、ファインマン自身が楽しんでいることが伝わってくると思います。ファインマンが自分で物理学を体系化してしまったのは、何かのためではなかったのではないかなと思います。彼らは自分が理解したくて、自分なりに理解できるように整理していった結果として体系化されたのだと思います。
多分ギリシャ時代に数学が発達したのも、奴隷が働くために普通のギリシャ人は「喰うための労働」をしなくてもよい世界だったからだと思います。純粋に数学を追求することが出来た世の中だったから、結果として数学が進歩したと考えるべきなのでしょうね。多分、実用面から考えれば当時の数学は無駄以外の何物でもなかったと思います。
もっと「無駄」なことをしよう、他人の価値観で生きるのをやめよう
自分のことを振り返れば、このブログのネタであるLinuxも面白そうなので始めて、Emacsにハマり、Rubyもプログラミングが楽しくてハマり、結果的これらは実際には仕事上では役に立っているのです。スタートは「何かのため」ではなく、「何だか面白そう」というものばかりです。
これからは、もっと「無駄」なことをしようと思います。 実は私自身も楽器を練習していて、「こんな無駄なことをしていて良いのか」などと考えてしまう時がありました。 プロになるわけでもなく、上手くなってどうするのか、と。 器用貧乏なんて無駄ではないか、と。云々。 こんなことよりももっと「有意義なこと」をするべきではないか、と。 でも、今後はそうは考えません。他人がどう思おうが、自分が楽しいことを楽しみたい。自分が楽しいと思えることをどんどん 探して、どんどん楽しみを増やしていこう。そう考えます。
本書でも強調されていますが、「意義」と「意味」は違います。「有意義」というのは何かのためです。「意味」は自分にとって意味があればそれで良いのです。自分の価値観・興味・楽しさを大事にしようと思います。それは、世間の常識や価値観と同じであるとは限りません。他人の価値観で自分の人生を生きるのはやめようと思います。他人の価値観とは例えば「地位(職位)」「出世」「給料」「体面」「業績」「実績」などですよ。
おわりに
少し分かりにくいというか、難しく感じる部分もありますが、「どう生きるべきか」「なんのために働くのか」「本当の自分はあるのか、無いのか」などに悩んでいる人にはすごくお薦めできる本です。仏教系の本でも、似たようなテーマについて答えてくれる本はありますが、この本はそういう仏教系の本で感じる肩透し感はあまり感じませんでした。直球で答えてくれる感じが好印象でした。(仏教系の本を批判するつもりはありません。「何かのためにやることを」しないで、楽しむためにやるというのは、究極的には行為・活動の一つひとつに、あるいは行為の各瞬間に集中することになると思います。そういう意味では、同じことを言っているようにも思います。)