これを読んで安心感を持ったり啓示を受けたと感じるか、全然理解できないとなるか。
読んで「偏屈なだけ」のような感想を持つなら、人間嫌いではない。 金言と思えるなら、正真正銘の人間嫌いだろう。
人間嫌いでありながらその自覚がなければ、この本でその自覚を持つことなるだろう。 すでに人間嫌いの自覚があるなら、人間嫌いとして生きる覚悟をするか決めるきっかけになるだろう。
人嫌いの夏目漱石の草枕の冒頭も人嫌いの語りかと考えながら眺めると違って読めるかも知れない。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
目次
人間嫌いの定義
人嫌いの定義は次のように書いてある:
自分の感受性や信念に対して誠実性の要求が高い人と言いかえてもよい。 これは、さしあたり他人の不誠実な態度に対して不寛容な感受性という形で現れる。
自分の感受性や信念に誠実であろうとすることは、他人からは大変にわがままに映る。 自分も「そんなことでは生きていけない」などと大変有り難い忠告もたくさん頂いてきた。 そして「そうなのか」と真面目に受け取って自分を改めようとしたことは一度や二度ではない。
しかし年齢を重ね経験を積んで世の中の人々の考え方もある程度把握できてしまうと、周囲が大事に考えているものが単なる同調圧力だったり、根拠も怪しい「常識」だったり、年長者のプライドだったりする。 そうなってくると、ますます「わがまま」に生きるほうが正しいと思えてくるのだ。
人間嫌いのタイプ
人間嫌いの分類があるので、タイプだけを引用しておく:
- 動物愛好型
- アルセスト型
- 自己優位型
- モラリスト型
- ペシミスト型
- 逃走型
- 仙人型
この本の著者は3、4、5を合成した「ありふれた」タイプとのことだが、自分もこの3、4、5の混合型だと思う。 ちなみに3番が一番性質が悪いらしい。
人間嫌いの生態
この本に書かれているエピソードには自分がおおいに共感するものが多数あり、その意味でも勇気づけられ、救われる気持にもなる。
その一つが「共感ゲームから降りる」である。 「多様性」なんて言葉が巷では流行しているが、実際は多様性なんて求めていない。 結局のところは「みんな分かるでしょ?」を押し付けあっているだけ。 「みんな一緒主義」のネーミングは笑ってしまうが、まさに「みんな一緒」が好きなのだ。
「故郷喪失者」という特徴も自分によく当てはまる。 生まれ育った土地にさほどの郷愁や愛着がなく、必要があれば住む場所を転々とする。 移った場所で必要な根を張れば良いという考えであり、「いずれは故郷に戻る」という発想はない。
同窓会も1~2回行ったきりイヤになってしまった。同窓会など「昔は良かったね」を強要される「みんな一緒主義」の最たるものだ。 高校の同級生とはSNSでつながっていたが、(この本を読む前の)ある時期に全部整理してしまった。 よくよく考えてみれば、卒業した学校が同じ以上の共通点がないのだ。だから「つながる」理由もない。
人間嫌いのルール
最後の章に「人間嫌いのルール」がある。
人間嫌いとして生きていくうえで必要な心構えがリストアップされている。 人間嫌いとして生きていくのは、それなりに処世術は必要なのだ。
引用すると
- なるべくひとりでいる訓練をする
- したくないことはなるべくしない
- したいことは徹底的にする
- 自分の信念にどこまでも忠実に生きる
- 自分の感受性を大切にする
- 心にもないことは語らない
- 非人間嫌いとの「接触事故」を起こさない
- 自分を「正しい」と思ってはならない
- いつでも死ぬ準備をしている
この本を読んだことで、どう生きるべきかの指針の一つを得た気になる、まさしく哲学の本である。 人間嫌いとして生きるだけが人生ではないが、この著者のような先人の知恵があるという事実を知っているだけでも、この住みにくこの世がいくぶん住みやすくなると思う。