逆説的だが、無愛想であるほうが人間関係での悩みがなくなる。 この本はそういう主張で、タイトルは釣りの意図もあると思うが「自分の気持ち(つまり自分)をもっと大事にしよう」という趣旨として読むのが良いと思う。
理不尽な扱いや物言いでも、相手に気を使って何でも我慢すれば良いというわけでもない。 たまに文句や不快だと伝えるのは、実は何の問題もない。 もちろんスマートにかわせれば良いが、スマートにできないからと言って我慢するよりは我慢しないほうがずっと良い。
自分の父親もしょっちゅう不機嫌になって、それが当たり前で接し方はとても気を使ったものだ。 自分がそうなれないのは、気を使うのが嫌だったからというより、気を使うのが当たり前になっていたせいかと思うようになった。 歳を取るとこちらばかり気を使っているのも馬鹿らしくなってくる。 自分も父親のように面倒くさい人になれば良いだけなのだ。 面倒くさいと言っても、付き合い切れないほどではなかったので、ほどほど面倒くさい人になれば良い。
「ほどほど」というのも面倒なのだが、「意味もなくヘラヘラ笑わない」「愛想良くしない」「言いにくいことをはっきり言う」「好きでもない人との付き合いをしない」など、本音ベースで振る舞うように意識するだけで良いと思う。 「愛想良い」のは、尻尾を振っていると解釈される場合が多くて、往々にして舐められる。
自分は360度評価が大嫌いなのだが、そうやって「良い人」であることを空気でもシステム的にも強要するのがこの社会なのだ。 そんな社会だからこそ、自分の気持ちや感じ方を敏感になって、「我慢すること」「自分の気持ちを殺すこと」に当たり前になっている自分に気付くことから始めると良いと思った。