ふろむだ@分裂勘違い君劇場のnoteに『科学的根拠に基づく最高の勉強法』が根拠とする論文から言えることを言っているのかちょっとだけ調べてみた|ふろむだ@分裂勘違い君劇場というエントリがある。
Amaoznではかなり高評価な『科学的根拠に基づく最高の勉強法』で述べられている主張の信憑性を確認している。 考察の詳細はnoteを読むのが良い。
このエントリでの大事なポイントは、ふろむだ氏が書かれている通り
警戒すべきは、「過剰な一般化」です。
先日の記事にも書きましたが、論文を根拠に何かを主張する人がいたら、根拠としている論文の実験条件を少し変えたらどうなるのか?を吟味するクセを身につけると、利根川さん的な書き方をする本にミスリードされるリスクが大きく減ると思います。
ということだ。
件の本は読んでいないが、「分かりやすい結論に飛び付きやすい」「結論を鵜呑みにする」といった傾向は誰でもありそう。 特に本になっているならば、より信用してしまう傾向は強まるだろう。
いやー、普通に、最初から、「少なくとも、こういう実験条件だと、こういう実験結果が出ている」と書けばいいじゃないですか。
とあるのだが、今どきは特に「正確な言い回し」よりは「分かりやすい言い回し」が好まれる傾向はあると思う。
正確な言い方は時として「はっきりしない」「分かりづらい」表現になりがち、と自分は思う。 そこを「なるべく分かりやすく」伝える努力をして、スキルを上げていくべきなのだが、なかなか難しい。
実際は、そういう努力やスキルをつける意義に対して横着をして「分かりやすい言い回し」をしてしまう人は多いのではないかと思うのだ(個人の感想)。
同様の怠慢は読者側のほうが顕著で、「分かりやすい表現」でないと内容を追いかけるのを諦めてしまう。 件の本は、そういう需要と共有のバランスが取れた商売的には成功例なのだと思う。 残りの主張がふろむだ氏の分析の延長線上にあると仮定するなら、内容的には残念と思われる。
ということで、風雪に耐えるような本ではなく、いっとき時流で持てはやされて消えていく本の一冊なのではないかと思うのだ。 商売的にはこういう「なんとなく良いこと書いてありそう」で売れる本も必要だろうが、出版する出版社の役割としてはあまり良くないと思うな。
物事は、良く知れば知るほど断定的な物言いがしづらくなる側面はある。 ある断面で切り取ったなどの条件や前提を明確に示すのは大事なのだ。 それを上手く説明できない時は、「まだよく分かっていない」と自分では思っている。
最後に過剰に一般化させてもらうと、日本語の扱いが雑な人は説明も下手だし、恐らく理解も浅い。 理系だろうが文系だろうが、日本語(母国語)を巧みに扱うというのは仕事をするうえでの基盤になる。 日本語が稚拙な場合は、長々と説明しても冗長になるだけなのだ。
そういえば、質問しても同じ内容を繰り返し説明する人がいるが、あれはこちらが声が聞こえていないとでも思っているのだろうか。 謎だ。