大局観 / 羽生善治著 読書メモ

2011年2月刊。

将棋棋士の羽生善治さんのエッセイです。私は将棋の世界には詳しくないのですが、トップクラスがひしめく「羽生世代」 と呼ばれる世代の代表的な存在であること、タイトルを独占した最強の棋士というイメージはありました。そのような人が、 普段どんなことを考えているのかに興味があったのがきっかけです。

本のタイトルは大局観ですが、それは第一章で中心に述べられていて、勝負の世界での判断・決断のしかたについての考え が書かれています。以降は第二章「練習と集中力」、第三章は「負けること」、第四章は「運・不運の捉え方」、第五章は 「理論・セオリー・感情」という構成です。

「大局観」とは、具体的な手順を考えるのではなく、文字通り、大局に立って考えることだ。(p26)

「大局観」では、「終わりの局面」をイメージする。(p123)

とあって、「未知の場面にも対応できるようになり、失敗を回避する方法ができ、さまざまな場面における重要な要素を抜 き出せるようになってくる」ものの見方を言っています。経験や各人の考え方を反映しつつ磨いていく、最良の判断をパッ と下す力、という風に理解しました。仕事の上でも、知識や技術では負けないのに、判断の点ではどうにもかなわない相手 がいたりします。そういう相手は大局観が磨かれていると考えることもできそうです。

年齢とともに、若いころのやり方では違うやり方を探らなければならないこと、いくつになっても成長することが出来るこ と、天才と呼ばれる人でも日々もがきながら研鑚しているなど、勇気づけられる本でした。

棋士の頭の中を知りたい人、判断力・決断力の磨き方のヒントを得たい人が読むと、得ることが多いと思います。

以下は印象に残ったフレーズです:

選択肢が多いことは、迷いにつながる (p24)

リスクを取らないことが最大のリスクだと私は思っている。(p35)

ミスはしない方が良いに決まっているが、よっぽど熟練した腕前でない限りは難しい。上達して進歩するプロセスとは、ミ スを徐々に少なくしていくことであると私は思っている。(p44)

「そんな時は話をしている人の目を見ていれば良いのです。そうすれば会話に参加していることになります」…(中略)… 相手を真正面から見ることは現実を見据えることであり、逃げることなく挑戦することを意味する。(p54-55)

何を基準にして目標を設定すれば良いのか。私は、そのキーワードは「ブレイクスルー」だと思っている。…まだ届いてい ない領域を目指すこと。もう少し頑張れば今までと異なる景色が見える”次なるステージ”を目標とすること。これがブレイ クスルーだ。(p74)

教える時に肝心なことは、教わる側は何をわかっていないかを、教える側が素早く察知することだと考えている。(p89)

私は、プロになって公式戦だけで四百局以上負けてきた。将棋は勝ち負けの偶発性が非常に少ないので、四百局負けたとい うことは、私には少なくとも四百以上の改善点があることになる。そう考えると嫌になってしまうが、一つ一つ変えていく しかないと思っている。(p106)

情報化社会を上手に生き抜いてゆく方法は、供給サイドに軸足を置くことだと思う。…(中略)…拾い上げた情報を基本に新 たに創造をして、供給側に回るわけである。…情報や知識が先入観や思い込みを作ってしまい、アイデアが浮かばなくなっ てしまうのである。(p126-128)

人間の究極の強さとは、ツキを超越することなのだろう。ツキを頼りにするのは、自分自身への信頼が揺らぎ、心が弱くなっ ている証拠とも言える。(p158-159)

捨てることで身軽になるしかない。その方が探しものをする時にも断然ラクなのだ。(p178)

一般の人々からは、「将棋のプロ棋士は何百手・何千手も考えられるのだから、先をクリアーに予測しながら局面を進めて いる」と思われがちだが、実際には何百手、何千手も考えられるのにもかかわらず、十手先を当てることすらできないのだ。 (p212)

今まで大多数の人々が、「これが美しい形だ」「これが常識だ」と考えてきた将棋から、ちょっと離れたところに可能性を 求めている、という感じがする。それを私は、「モダンアートのようだ」と表現している。モダンアートをも見て「美しい」 と言う人は、なかなかいないとは思うのだが、それも一つの表現のあり方である。(p232-233)

2014年9月読了。