三菱自動車の元会長の益子修氏が亡くなったとのことです。
ぼくがいた頃の思い出を書いておこうと思います。
社内では「益子さん」と呼ばれていたので、ここでも益子さんと書かせてもらう。 直接話す機会はなかったですが…。
益子さんは三菱自動車を潰さなかったという点では、優れた経営者として評価して良いと思う。 就任以来、2008年のリーマン・ショック、2005〜2013年ごろの3G83エンジンの問題、2016年の燃費不正問題、という風におよそ4年ごとに大変な時期を迎えながら踏み止められたのは益子さんの力によるものは大きいと思います。
特に燃費不正の時はゴーンとのコネを活かして、日産の傘下に入るというウルトラCで切り抜けた。
ただ、それ以外の点はあまり配慮できる経営者ではなかった印象です。
例えば老朽化した建物、設備を更新しなかったり、社員を大事にしていない印象は強かったです。 もとから居る社員はあまり分からないかも知れませんが、何年も古いプレハブで開発をしていたり、机や椅子が恐しく古かったりと、とにかく「扱いが悪い」と思うことが多々ありました。
インフラにお金をかけて効率を上げるという発送からは遠い人のように思えます。どうも、自分からその手の改善に乗り出す気はなかったように感じました。 なによりも「会社内部の雰囲気」を良くするような施策は皆無でしたね。 なので、社員の満足度のようなものには鈍感というか理解できていない経営者だったと思います。そういうのに不向きな経営者だったということでしょう。
まあそうは言っても、日産の人が入ってきて社内の雰囲気ははるかに良くなりましたし、インフラや仕組みも改善されて日に日に良い会社になっていく感触がありました。 少なくとも三菱自動車プロパーが上層に居た時より、ずっと分かりやすく、社員のことを考える会社になったと思います。 そうなったのも元はと言えば、益子さんが日産との話をまとめられたからなのです。そういう意味でも益子さんの功績はすばらしいものがあるわけです。
益子さんのことを悪くいう人がいるのは知っています。どんな人でも完璧なんてことはありません。益子さんも例外ではないと思います。
でもまあ16年間もやっかいな三菱自動車という会社の舵取りを担ってくれて、どうにか良い方向性をつけてくれた(と、ぼくは思っている)人でした。
会長を退任された矢先の訃報で、会社のために就くされて亡くなったようで残念です。ほんとうにお疲れ様でしたと思います。 ご冥福をお祈りします。