森博嗣 / 集中力はいらない

参考になる人と参考にならない人が分かれそうな内容。

著者は作家業を大学に勤務している時に両立させていたが、それにまつわるエピソードや方法論について述べている。 「自分はこうやっている・こう考えている」という仕事論の本と言える。 だから参考になる部分は取り入れて、参考にならない部分は差分を考えるしかない。

あまり論理的な構成がされているわけではないので、自分には読みやすい本ではなかった。 インタビューも混ざっていたりして、一部だけつまみ食い的に読んでも読める。

それでも、はっとする部分はかなり多くて示唆的な本だと思う。

まず『「集中力」を疑う』。

自分も常々思うことで、勤務時間内にぶっ通しで「集中」していると次の日はもう使い物にならない。 (この手の話は森毅のエッセイにもある。取り憑かれたように研究に没頭していた研究者がその後ボーっとしている姿の話題があった。)

逆説的に聞こえるかも知れないが、定常的なパフォーマンスを保つのであれば、いかに「集中」しないでリラックスしつづけるかが大事なのだ。

そのためには休憩を入れたり、別のことをやったりする。 気分転換や緊張感を解放するのも仕事の一部になる。

こういう考え方は組織ではなかなか受け入れられないと思うが、休むことも仕事と考えられないのは考え方がかなり古い。 肉体労働者が体を休めるのは当然だが、ホワイト・カラーの労働のほうが(特に頭を)休むことを重視するべきだと自分も思う。

集中する時は大抵追い詰められている時だったりする。 自分の場合は、考えるべきことを適当にごまかして目の前のことを片付けることに「集中」していることがほとんどだ。 リラックスできた時になって、ようやく考えないといけない問題を考えるようになる。

第2章の『多くの人は「反応」しているだけ』は、日常生活で人間はほとんど考えてないという指摘は、その通りだと思う。

毎日のことは惰性でこなしてしまうし、小さい違いは気にしない。今日の行動は昨日と同じだと思いこむ。 仕事も同様で、実際に「考える」ような仕事をしている人は多くない。 ほかの事例を比べて無難なやり方を選んだり、以前の同様な例を真似たりして「仕事をした」ことにしている。

情報に対しても同様で、周囲が「大変だ」と言えば「そうかな」と思ったりする。

良い例がcovid騒ぎだ。 あれだけ大騒ぎした日々はなんだったのか考える人はほとんどいないだろう。 そして、今ごろはcovid以前の状況に戻せると無邪気に考えている人が多いだろう。 実際には仕事のやり方や意識はcovid前後ではかなり違ってしまった。単純に戻せるとは自分は思っていない。

帯にあるような「だらだらするほうがうまくいく」かどうかは人によると思う。 決まりきった仕事をだらだら片付けるのは「うまいやり方」ではない。 効率的な片付け方を考えながら仕事をして、余った時間で緊張を解放するのが本当の意味での「だらだら」だと思う。