日本誠真会の党員をやめた。正直、今回の2025年の参議院選挙戦の序盤の時点で、党員をやめたい気持ちが支配的になっていた。
今回の参議院選挙の結果が決定打になったのは確かだが、以前から不信感は積み重なっていた。

目次
党首・吉野敏明に対する不信感
最大の理由は党首・吉野敏明に対する不信感が日々増幅されていったことだ。
きっかけは些細な違和感だったが、その違和感は確信に変わっていった。
ピアノ練習の動画
最初のきっかけは、私が党員になって1ヶ月ほどのことである。 政治資金パーティーに向けてピアノを練習している党首の動画を見た。
彼のポストを引用する:
日本誠真会の3月9日の政治資金パーティーまであと42日。日本誠真会のテーマソング『心の扉』の伴奏ピアノが本当に弾けるのか⁉️またまたヘタクソだぞ、よしりん‼️(歌は歌いません) pic.twitter.com/8rIwbTHVVt
— 吉野敏明(よしりん) (@yoshirin100) January 25, 2025
彼のFacebookから引用する:
毎朝4時に起き犬猫インコに手作り餌を必ず作りオシッコ💩の世話、家の掃除洗濯、そしてストレッチをして50℃の風呂にはいり、通勤電車で生配信のネタを調べて作り、生配信を二本放映してオペをする。水曜昼は街頭演説、月金は夜に街頭演説。夜は政治活動として動画収録や生配信。その極少しの隙間時間時間にピアノの練習。
やることが沢山あるのは理解する。 しかし、その忙しい中でなぜ党首がピアノの練習? それをわざわざ録画し公開?
余計な仕事をして時間を無駄にしているのではないか? 彼が何度も批判している「努力の方向を間違えている」ブーメランを投げているように感じた。
党歌制作と優先順位
続いて「誠真会マーチ」をレコーディングする動画がYouTubeで公開された。
党歌の制作を否定はしないが、自らそれを作曲して歌う必要性はどこにあるのだろうか。
作曲や録音ではなく党運営や選挙戦略に注力するべきではないか。
自分は優先順位を正しく判断できない人間を信用できない。この時点でもう吉野敏明を信用する気はかなり減少した。
「45人擁立」の目標と説明不足
2025年参議院選前に「全選挙区で45人の候補者を立てるから2億円以上必要」と資金集めをしていた吉野敏明。 しかし実際は選挙区で8人、比例区で2人の候補者の擁立にとどまった。
この大幅なスケールダウンについて明確な説明を私は見付けられていない。 何か説明があったなら「そういう事情があったのだな」と納得できたかも知れない。 しかし何の説明がないことに、私は裏切られたと明確に感じた。 吉野敏明が批判している政治家と吉野敏明のこの対応は、私には同類に見える。
つけ加えると、吉野敏明は寄付金額を毎日報告しているが、使途については沈黙している。この態度から誠実さは感じられない。 金銭面で不誠実な者が「嘘をつかない」「政策より誠実」のスローガンを掲げても説得力を私は感じない。
自慢話・精神論が多い
「教科書をたくさん書いている」「研究で日本一になった」など実績を強調する話を何度も耳にした。
また「努力の方向を間違えてはいけない」「私は嘘を絶対につかない」「言ったことは必ず実行する」など精神論も何度も述べている。
歯科医・研究者としての能力が高ければ、政治家としての能力も高いと言えるだろうか。 また、精神論と党運営の整合はとれているのだろうか。
歯科医としての実績はあるだろうし、能力もそこそこ高いのだとは思う。 ならば、党運営や選挙戦略の点で能力をしっかり示すべきだと思う。 この点では、能力があるように現時点で見えていないし、むしろ虚勢を張っているようにすら見える。
和をもって尊しとなすなら、なぜ団結できない
吉野敏明は何度も「和を以って尊しとなす」を持ち出す。 ならばなぜ、2025年5月31日の石濱哲信・小林興起・佐藤和夫・田母神俊雄らとの対談で団結や協力体制を構築できないのだろうか。
これは最も失望した瞬間でもあった。
「保守の定義」にこだわっても、選挙民の多くは理解できない。 結局のところ、自分のこだわりを優先してしまい、日本のために団結するような思考になっていないように見える。 戸田市議の河合ゆうすけ氏のほうがずっと大人な見方を出来ていると思う。
斎藤元彦氏が兵庫県知事に再選して八つ当たり
この斎藤氏の一連の騒動については、吉野敏明の人間性が如実に現れているので追記しておこう。
吉野敏明は斎藤元彦氏の政策だけでなく人間性に対してきわめて厳しい批判をしてきた(現在、それらの動画はほとんどが非公開にされている)。 下の動画は斎藤氏が知事を辞職し、再選した直後に配信されたものである。
14:50ごろ「兵庫県民に失礼だから斎藤氏を揶揄した動画をいったん非公開にした」と発言。
揶揄なんてものではない。「サイコパス」「嘘つき」「ぼくは知事様だから」など口を極めて罵倒していたのだ。
15:20ごろからは語気を荒げて「私は以前から言っていることはまったく同じ」。なぜか斎藤氏へのお説教タイムに突入である。 「斎藤くん」「元彦くん」と上からの物言い。 投票した兵庫県民でもなければ過去に選挙で当選したこともない、政治家キャリアもないのに。 知事に向かって「経営者の心=帝王学」を説く。
21:50ごろ: 「そういう立派な人間になりたいというような、そういう人間に究極の立場として自覚してください」 選挙で再選した人への敬いはあるのだろうか。彼が掲げる「誠意と真実と敬い」と整合していないと私は思う。
動画の最後はなんだか怒っている。見ている側には滑稽ですらある。 批判していた斎藤氏が当選して怒っているのだから、吉野敏明の人間性が最も分かる動画と言えるだろう。
さらに、不機嫌な姿を動画で発信していることも意識できない。この程度の器の小さい人なのだ。吉野敏明と日本誠真会の今後についての考察で指摘したような「自己顕示欲が極めて強い」「自己正当化と承認欲求に基づく演出家」の姿がよく分かるのではないか。
「正義は敗れる」と強がる
選挙後に吉野敏明が投稿したがこのポストである:
正義は敗れる。時として命も奪われるそれでも愛と信念で闘うことはできる 誠意と真実と敬いが、たとえ嘲笑されたとしても闘う価値があることを我々は証明する https://t.co/9Qogmf5LBm
— 吉野敏明(よしりん) (@yoshirin100) July 21, 2025
このポストは、選挙後でもまだかすかに日本誠真会に期待していた私の気持ちを逆撫でした。
選挙戦でやれることを全部やっただろうか。 無策の戦い方で敗れて「正義は敗れる」とは…。
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」であり、軽々しく正義を持ち出すのは負け惜しみではないのか。 このような者にどれだけの人がついていくのだろう。 このポストのおかげで迷いなく党員をやめることができた。
無為無策の選挙戦
不信感を持った原因は上記がすべてではない。 2025年の参議院選挙戦で私が感じた不満は2025年参議院選における日本誠真会の戦い方についてで述べた。この記事に書いてあることもすべてではない。
党首が信用できないだけでなく、選挙戦においても無為無策で金・時間・人を無駄に使っているように見える。 このような状況を鑑みると、党員にとどまる理由がみあたらない。
日本誠真会でなくても良いと思った
もう一つの理由は「同じ方向性の政党は他にもある」と思ったことだ。
信用できない党首と無策の選挙戦で金・時間・人を無駄にしている日本誠真会。この組織にこれ以上肩入れする意義を見失った。 この組織が結果を出す前に日本が終わってしまう。 ならば、近い考えの政党を応援するほうが建設的であるし、精神衛生上も良い。
例えば参政党は吉野敏明が一時期所属したせいか、ほとんど同じ政策を掲げている。 違う点は憲法問題である。この問題に目を瞑るなら参政党でも良い。
余談
そんなわけで、四毒抜きから吉野敏明を知った流れで党員になったが、いくつかの理由が重なって党員をやめる決心をした。 党員はやめるが、四毒抜きは続けると思う。
ところで、参政党をやめた人を「やめさん」と呼ぶようだ。日本誠真会をやめた私は…はやはり「やめりん」だろうか。
次にどこかの党員になってもブログに書かないつもりだ。