「仕事が人生」と「男らしさ」

テーマが別なのに既視感がある動画

最近見た動画で、別の動画・別のテーマなのに既視感あるなと感じたものがあった。

一つは 【要約】なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか【ジョナサン マレシック】| フェルミ漫画大学

もう一つが【メンズコーチ ジョージ】「男らしさ」の追求で自●率が上がります。男らしさの有害さについて解説 | 謎解き統計学 | サトマイ

かたや「やりがいのある仕事」「仕事が大事」、かたや「男らしさ」「マッチョイズム」のようなステレオ・タイプな価値観だったのが既視感の原因だったようだ。

ステレオ・タイプな価値観は基準が自分の外側にある

「バリバリ仕事するオレ」、「年収◯◯◯◯のオレ」、「一等地のオフィスで働くオレ」のような価値観。 「モテるオレ」「強いオレ」「性的に魅力あるオレ」のような価値感。

こういった価値観で生きていると「バリバリ仕事できない奴はダメ」「年収△△△△の奴はダメ」「地方で働く奴はダメ」のような思考になるし、 「モテない男はダメ」「強くない男はダメ」「性的な魅力がないとダメ」のような思考になる。

上記の動画の趣旨は似ていて、結局のところステレオ・タイプの価値観は自分の外側に価値基準を持つことになり、精神的な基盤として脆弱だということだ。 言い換えると、自分の人生を生きていない。

この手の価値観は、どれも基準が曖昧なのが共通点だ。 「どこまで収入があれば『良い』のか」「どれだけ誰にモテれば『良い』のか」。 基準が自分のなかに無ければ、その価値観に合った生き方になっているのかすら分からない。

「なんとなく自分はまだまだ」なんて考えてしまうかも知れない。 あるようでないような基準と自己のギャップは埋まることはないだろう。 だから病んでしまうのだと思う。

「仕事が大事」とか「モテる男が良い」とかは普遍的な価値観ではない

面倒なのは、ステレオ・タイプな価値観をあたかも普遍的な価値観であるかのように思い込んでいる人が少なからずいることだ。 「仕事ができる」なんて、何本もある人生の評価軸のひとつに過ぎない。モテるとか非モテとかも同じ。

(そもそもモテることにどんな価値があるのか。ビーチで逆ナンされるのが世界的に見てステータスということでもないだろう。 ゆきずりの関係を持つのは病気を伝染されるリスクもあるし、そんなのを喜んでいるのはかなり残念なレベルと思える。 逆に言うと、逆ナンされなくても何とも思わないくらいの自信がないことの現れでしかない。)

普段の会話からも、相手がどれくらいステレオ・タイプな価値観に固まっているか分かってしまう時はある。 仕事すること=自己実現みたいなフワフワした価値観で話されてもね。 仕事のほかにも楽しいことあるでしょ? すぐに仕事と結びつけると話しても楽しくないんだよ。 結局、自分に自信がないから自分の外の価値観にすがっているだけでしょ? それが「マジメ」で良いことかと勘違いしてるのかもだけど、「超つまんねーヤツ」って自分で言っているようなものだから。

Adsense広告