毎年この時期は、戦後の洗脳教育の成果をまざまざと確認することが出来る。
「戦争」など、いわゆる主語が大きいステートメントがこれでもかと目に入ってくる。たとえばこんなポスト:
火垂るの墓のポスターを明るくしたら隠れているB-29が現れます。
— サカケン (@thenodogoshi) August 14, 2024
飛んでいる蛍は、実は火垂る焼夷弾だという事が分かります。
戦争は一番ダサいです。 pic.twitter.com/2W41qErwnc
戦争という語が指す意味のなかに、「無差別攻撃」や「民間人の犠牲」という事象は含まれる。 しかし戦争イコール無差別攻撃ということを意味するわけでもない。
そもそも民間人を対象にした攻撃は国際法に反するとされている。 つまり無差別攻撃は戦争でも禁じ手なのだよ。本来はその禁じ手を使うこと自体が問題視されるべきだと思う。
日本語として正しく表現するならば、「無差別攻撃は◯◯い」「民間人が犠牲になるのは◯◯い」のようになる。◯◯には形容詞を入れる。
こと大東亜戦争に関しては日本人はある種の感覚が麻痺するようで、なにが普通の感覚なのか分からなくなっている。 これが上記の「洗脳教育の成果」の一つである。
日常的な感覚からすれば、民間人に焼夷弾をばらまく行為を見聞きして「戦争はよくない」などいう気持ちになるだろうか。 自分なんかは「こいつらがやったことは鬼畜の所業」としか思えない。 これは戦争ではなく「殺戮」という行為だと思う。 ロシアがウクライナでやっている行為の上を行くことをアメリカ軍は日本人に対して行ったわけだ。
日本も重慶爆撃をしているので無罪という気はないが、アメリカのそれは東京大空襲(死者11万5千人)・広島(死者16万人)・長崎(死者8万人)・名古屋など大都市を壊滅的に破壊している。第二次世界大戦はイギリス・ドイツも空爆はしているが、これほどの攻撃をした国は歴史上ほかにないだろう。
ちなみにピカソの絵画で有名なゲルニカは史上初の無差別攻撃とされているが死者数は最大で2千人と言われている。 死者数だけで比較するなら、日本に対する無差別攻撃はゲルニカ以上のものなので、ピカソの絵で衝撃を受けたなら、日本への無差別攻撃の凄惨さは言わずもがなだ。
(そんな日本を守るために命を散らした方々が柱として靖国神社に祀られているのであって、他国にとやかく言われる筋合いはないだろう。)
日本で焼夷弾の雨を降らしているあいだアメリカの庶民は普通に生活していたわけで、彼等は今でも戦争に反対なんてしていないと思うぞ。 (911は建国以来はじめて攻めこまれたと感じてヒステリーになったわけだが。) 今となっては戦争はお金がかかるから、気がすすまないだけで、彼等にとって他国民がどうなろうが知ったことではない。 現にアメリカほど他国に軍隊を派遣して交戦している国はほかにないだろう。 アメリカが絶対悪という気もないが、C国やロシアなどが出ばるよりはちょっとマシくらいだと思う。
アメリカに楯突いたことを反省するポーズなのか「戦争反対」などのように戦争を否定するステートメントをわざわざ出すのは、自分には「なんか良いこと言ってるオレ」「だれも否定できない(綺麗)事を言うアタシっていいでしょ?」のようにしか受け取れない。
すっかり洗脳されていることに気付かず、いいこと言ってる自分に陶酔するのも結構だが、大東亜戦争の開戦を当時の政治家が止められなかった理由の一つに、新聞などのメディアに煽られた民意が大きかったことも忘れてはならない。 よく分かりもしない民衆が戦争に突入することを望んだのだ。 (下記の本によれば、当時の政治家は、開戦を阻止する万策尽きてズルズルと開戦してしまったように読める。)
そして、それを煽ったのは新聞やラジオなのだということを覚えておくべきだ。 (毎年この時期に朝日新聞や毎日新聞がしれっと訓垂れるのは、このメディアの厚顔無恥をさらしている以上のものではない。)
火垂るの墓つながりでもう一つ。
このポストの高畑勲の言葉は、多くの人はその時代の雰囲気(空気)に飲み込まれてしまい、リアルタイムにものごとを正しく判断できる人は稀有だという警鐘と思う:
この時期になると、火垂るの墓の主人公の身勝手な行動のせいで妹が亡くなったのだと糾弾する人々が出てくるけれども、この作品を監督した高畑勲さんが36年前に、この様な時代が来ることを既に予見していたのである。今は、この意味を深刻に考える時だと思う。#火垂るの墓 #戦後79年 pic.twitter.com/mDMZgOVxXo
— M16A HAYABUSA (@M16A_hayabusa) August 14, 2024
新型コロナ、東京オリンピックの開催可否などすっかりマスゴミメディアの情報に踊らされている皆さんにおかれましては、「自分の感覚こそ正義」だと思っておられることでしょうね。だがしかし、あなたの感覚は絶対ではないし、真理でもないのだよ。 東京オリンピック開催に反対していたのに、実際開催されればTVに貼り付いて楽しんだ人も多いだろう?
自分が時代の空気に飲まれていることを自覚できることは非常に稀だし、周囲にそう自覚できている人がいたなら異端扱いするのが一般人なのだ(そういう人は言動が多数派とは違うから)。「ものごとはこれが正しいはず」なんて考えること自体が浅はかなのだよ。
付け加えると、自分にとって8月6日は、原爆慰霊碑にある「過ちは繰返しませぬから」を日本人に刻ませる所業の意味をかみしめる日でしかない。 普通の感覚であれば、「二度と攻めこまれないように、民間人の住む地域に爆弾を落とされないようにします」だと思うのだが、日本人でそう考える人は少ないようだ。
なぜか「戦争を放棄して、武器も放棄します。外交でどうにかします」になる。外交でどうにかできなかったから、大東亜戦争に突入したのだが。 となると、外交でどうにもならなくなり、消極的にでも交戦が開始されてしまっても、二度と攻めこまれないようにするには、それ相応の備えすなわち国防能力を持つ以外にないだろう。