日野皓正が中学生をビンタした件

暴力は論外

まず暴力云々は論外で、ビンタしたことを擁護するのは間違っていると思います。 ましてや世界的な音楽家が直接暴力をふるってnewbyをコントロールするというのは世界的に恥ずかしい。

音楽抜きの論評は変でしょ

わがままだろうが、出来上がる音楽が良ければそれで良いというのが基本でしょう。 それ抜きで意見を言ってもなかなか難しい感じはします。

暴力をふるう直前の演奏しか抜粋されていないのですが、そんなに変なドラムソロではないし、技量的にはかなり上手だと思います。 事前打ち合わせと違うことをしたからダメだというなら、その人はJazzそのものを分かってない感じはします。

観客からすれば上手い人のソロは長く聞きたいものです。平等に順番に回すのがいつでも正しいわけではありません。 長くソロをするために上手くなるしかないなら、それはそれで教育的にもありだと思います。というか、音楽はそういうものです。

ドラムの彼がどうやってソロから次に立て直すのか、それをハラハラしながら楽しむというものありです。 途中で止めてしまったので、全体として失敗だったのか分からなくしてしまったというのも良くないな、と思います。 テーマに戻したり、次の子に渡すのをリードしたりするのが指導者には求められるべきです。

練習時にはそういう逸脱をせず、なぜ本番でぶちかましてしまったのかという点が興味深いところです。

対照的な論評

興味深いのはJazzに造詣が深い人の間でも意見が分かれる点です。

JazzGuitarBlogさん

日野皓正氏の録音音源とか、ライブ演奏に触れて、耳をかっぽじってそれをちゃんと聴いていたのなら、ステージであんな我儘できるわけないだろう、と。音楽は自分のエゴを通す場でないことはわかるだろう、と。音楽は、自分自身の価値や能力、欲求を表現する場ではない、と。

と書いています。

一方八幡謙介さん

次に叩くドラマーが待っていたのに延々と演奏を続けた少年の<逸脱>はジャズ的にありか?

ありです。

ぼくは基本的に八幡さんの考えと同じです。

予定調和的な演奏はJazzではないと思いますし、綺麗にまとまった演奏を強いるのもJazzを題材にしたスクールではやるべきではないと思います。 もっとも自由に出来るのがJazzで、そのためにJazzのミュージシャンは恐ろしく高いセンス・技量を要求されると思っています。

「ぶっ壊す」のが創造で、特にJazzというジャンルは演奏で創造性が問われます。 中学生の彼はその意味でJazzの本質をよく捉えていたと言えるかも知れません。

ぼくが世界的なミュージシャンを前に演奏したら、きっと小さくまとまった演奏しか出来ません。 中学生の彼はそんなのお構いなく自由に演奏しようとし、日野皓正にスティックを捨てられても叩き続けたのは、もっと注目され賞讃されて良いと思います。

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