森毅の「魔術から数学へ」

2017年8月17日

森毅の「魔術から数学へ (講談社学術文庫)」を紹介します。森毅は高校の時に特別講義で来てくれて、それ以来ちょいちょい著作を読んでいる。 高校生の頃はエッセイの中身はよく分からないことがあったけど、これはとても分かりやすい。分かりやすいけど、簡単かというと、そうでもないのが森毅なのだ。

タイトルの「魔術」は、そもそも数学が今のような確立された形式になったのは17世紀以降くらいを想像するのが正しいんだよ、という著者の意図を反映している。この本は、そんな混沌とした「魔術めいた」世界が「数学」として整理されていく過渡期までの歴史を俯瞰する。

私がこの歳で始めて整理できたのが、数学には大きくギリシャの流れ、イスラムの流れがある点。 ギリシャは砂と石、すなわち幾何と数論があって、これが「和解された体系」がユークリッドの「幾何学原論」に結集する。 一方、イスラムの流れは計算術など実学的な側面が強く、3次元方程式の解であるカルダノの式に代表されるような計算技術を極める趣向がある。

ここで、ガリレオとコペルニクスが登場する。ガリレオは力学の祖であり、コペルニクスは天文学の祖である。これらがまとめられるのはニュートンまで待たなければならない。ガリレオについては、この本では、数学という観点であまり整理されていない印象を受ける。ただ、仮説をたてて実証する科学的手法の創始者という意味で、科学の創始者としての偉大さと、おおらかさを述べている。

一方のコペルニクスは、計算技術の高さから言って、イスラムの流れを汲むと想像されるが、同時に神秘主義であり、千もの『法則』のうち三つしか正しいものがなかった。しかし、その神秘主義の妄想が後のヨーロッパ数学のコスモロジー形成につながったと述べている。 脇道だが、和算が発展しなかった点の考察も興味深い。「個別的現実を重視した」ことで、普遍的なコスモロジーに至る想像力(著者は妄想と表現している)が欠如していた説を唱えている。

時代が下ると、座標という概念がデカルトによって導入される。座標によって座標幾何が生まれ、ヨーロッパの数学が創始される。 デカルトと並んで舞台にでてくるのがパスカルである。パスカルの数学的な業績については、詳しく述べていないが、この本はその時代の雰囲気を伝えることに主眼があるようだ。「大雑把」で明晰な「理念派」デカルトに対して、几帳面で天才的な「事実派」パスカルを対峙させることで、当時の雰囲気を醸している。

数学としてまとまりだすのが、ニュートンの登場であり、それに対峙されるのがライプニッツである。要するに、微分・積分の確立。ニュートンは「デカルト派」であり、ライプニッツは「万学の祖」である。「形式」については、圧倒的にライプニッツの方が明解で、解析学としてその系譜がベルヌーイ・オイラーへと続く。

最後は、オイラーとラグランジュに少しだけ触れているが、基本的にこの本はニュートン・ライプニッツまでを扱っていると思って良い。

村上陽一郎の解説にもあるが、これはヨーロッパ中世の思想史とも言える内容で、森毅の博識の広さはスケールが違う。堅苦しいイメージの「数学」が、実は泥臭い人間の営みの結晶であることを教えてくれ、数学のイメージが変わるかも知れない著作です。数式が苦手な人は、数式は飛ばして読んでも良いでしょう。少しの数式くらいで、この森毅の深く広い世界を垣間見るチャンスを逃すのは惜しい、そんな本です。